2歳〜6歳の「必要パーツ」を揃えると年収700万の「競争力」を持てる

  • 2022.06.24
  • 2022.06.24

子どもたちが22歳を迎えて社会に出た時に「250分の1」の「競争力」を持っている状態。僕たち『ワンチーム』に参加している両親は、ここから逆算して敎育活動を取り組んでいますが。その際、子どもたちの前に、自分たち自身のことを振り返ることが必要です。なぜなら、僕たち両親も、年齢だけは「大人」になっているのですが。「考え方=OS」自体は、「250分の1」基準における、0歳〜2歳、2歳〜6歳と全く変わらない状態であることが、理解できてしまうからです。「ヤバい!まずは自分たちが変わらないと!」真剣に「必要パーツ」を集める、良いキッカケになるわけです。

僕たち自身が「6歳児キッズ」に負けてました(涙)

我が家の場合、長女15歳、次女13歳というかなり年齢が嵩んでしまった状態から、マスターヒロさん直伝の「250分の1」基準の「0歳〜18歳の敎育」の取り組みを開始しましたが。何が一番の問題だったのか?それは「子どもたち」よりも前に、子どもたちの両親である、僕たち自身「考え方=OS」に致命的な欠陥があったことが判明してしまいました。僕たちも、年齢だけは既に40代、20年以上に渡り大人として社会で活動してきたはずなのに。なんと、「250分の1」基準における、0歳〜2歳児、2歳〜6歳児のキッズたちが共通して持つ、「必要パーツ」が大きく欠落していることが分かりました。

孔明「ヤバ〜い!僕、6歳児キッズにも負けてる(涙)!!」2歳〜6歳児の必要パーツさえ穴が開いてる状態の僕たち両親が、その子どもたちに敎育を促すのですから、子どもたちが、メチャクチャな状態に陥ってしまうわけです。子どもたちに悪気は一切無く、両親である僕たちの立ち振舞い方を見て、常識を構築していただけなのですから。「ス~。ハ〜。 ス~。ハ〜。」慌てはやる気持ちを深呼吸して抑えながらも、0歳〜2歳・・・2歳〜6歳・・・の「必要パーツ」を、まずは僕たち両親が丁寧に集めていった・・・。というところが、我が家にとっての、「子どもの敎育」におけるスタートになったわけです。

「6歳児キッズにも負けてる・・・」正直に告白すると、はじめは受け入れ難い事実でした。でも致し方ありません。僕たち両親が変わらなければ、子どもたちは絶対に変わらない!子どもたちが将来、「250分の1」基準の大人になることは、夢のまた夢になってしまうのですから。全ては子どもたちの「成功=シアワセ」のために!したいか、したくないか。ではなく、するべきことだ!と捉えて、急ブレーキをかけて、方向転換です!その日から真剣に、まずは僕たち自身の「考え方」を変えるべくマスターヒロさんの訓えを真剣に学びながら、一つ一つ丁寧に、必要パーツを集めることに取り組んだわけです。すると、それに伴い、子どもたちも途端に変わり始めたのです。

「波乱万丈」ジグザグ人生の正体

マスターヒロさんが完全に体系化された「0歳〜18歳の教育論」を元に、世の中を照らし合わせると。「なるほど・・・」世の中では僕たち同様に、「子どもの敎育」の期間に、「必要パーツ」を揃えていない状態で、そのまま大人になってしまった方々ばかりであることも見えてきます。僕たち大人にとっての、評価の基準は「年収」ですが。就労者をフラットな視点で見ると、「年収」は「必要パーツ」によって、決定づけられている・・・とも見て取れます。

「250分の1」基準の「必要パーツ」で見ていくと。日本の平均年収415万に満たない場合は、0歳〜2歳の「必要パーツ」が根本的に足りてません。就労人口の10%年収700万に満たない場合は、2歳〜6歳の「必要パーツ」が根本的に足りてません。ただし、僕自身がこれまでそうであったように、年収が高いからと言って、0歳〜2歳、2歳〜6歳の「必要パーツ」が揃っているかというとそんなことはありません。何か一つの部分が、秀でいたり、時勢に乗ってしまったりすることで、上に行ってしまうことも、確率論的にはわずかですが、起きてしまうのです。

例えば、「生まれながらの運」お金持ちの両親や親族から会社や資産を引き継いだり、沢山お金をもらったり。「運や偶然のラッキー」僕のように、海外や、インターネットの流れを掴んでしまったり。という運や偶然のラッキー要素も起こってしまうのも世の中だから。しかしそうした運や偶然のラッキーによる上昇は、大きな歪を生みます。「上手くいくこともあれば、 失敗することもある」と言った、「波乱万丈」とも言える、ジグザグな人生を歩むことになる。

または、運や偶然のラッキーは、子どもたちに引き継ぐことはできないので。「子どもはメチャクチャに・・・」という状態に陥ってしまうのです。これが、「金持ち三代で潰れる」の根本的な原因にもなっています。僕も過去を振り返れば、典型的な上手くいくこともあれば失敗することもある・・・というジグザグ人生を歩んで来たので、見に覚えがありまくりなわけです。なぜなら、僕には「2歳〜6歳」の「必要パーツ」が大きく欠けてしまっていたのですから・・・。実は「子どもの敎育」以前の問題だったのです。

「学歴フィルター」の正体

逆に言えば、「0歳〜2歳」の「必要パーツ」を丁寧に集めて定着させれば、日本の平均年収415万は必然的に取れるようになれます。「2歳〜6歳」の「必要パーツ」を、丁寧に集めて定着させれば、就労人口の10%年収700万は必然的に取れるようになれます。なぜなら、サラリーマンであれば、雇用する企業側は、そうした「必要パーツ」を相対的に見ることによって、採用する人材のお給料を決めているからです。ただし・・・これも世の中の難しさでありますが。企業に勤めるサラリーマンとして生きる場合、就職活動の際、「学歴」は必ず求められてしまうので。

20代、30代、40代・・・後から「必要パーツ」を揃えていったからといって、就職した会社、総合職・一般職・パート・アルバイトなどの雇用体系が変わらなければ、お給料が大幅UPすることはありません。その場合、年収UPしたければ、「起業・独立」後の世界で、自営業者として、再起を図る必要があります。でも、これも理にかなっていて、おかしなことは起きていません。社会では「時間軸」が重要視されます。自分を中心に地球と社会が回っているわけではありません。

「自分のペースで必要パーツをのんびり集めていればいいや・・・」という「考え方」そのものが、「250分の1」基準の「2歳〜6歳児キッズ」にも負けてしまっているので、そういう人材は、どこの企業も総合職として必要としていないのです。「最低限、大学受験までに2歳〜6歳の必要パーツを揃えてきてくださいね!」・・・という、関門を突破することが、「学歴フィルター」と呼ばれる、「MARCH・関関同立」ラインだと言い換えることもできます。

なぜなら、「250分の1」基準の子どもの敎育における、「2歳〜6歳」の必要パーツを丁寧に揃えることができるのならば。必ず同年代で10%未満のゾーンに入れる。「10%≒偏差値63」この競争力を、大学受験に向けると、自ずと「MARCH・関関同立」ラインは確実にクリアできるというわけです。だから、学生を採用する上場企業側から見れば、「18歳までに、2歳〜6歳の必要パーツを集めてこなかった学生は総合職としては要らない・・・」これが「学歴フィルター」として表面化するのです。

「時間軸」の無かった学生は、就職という部分では、上場企業の総合職には、絶対になれない。すると、社会人になった後で、年収を上げたい場合、難易度はさらに上がるけど、自由度の高い自営業者として再起を図るしか無い・・・ということになるわけです。しかし、自営業者の世界でも、「2歳〜6歳」の必要パーツが揃っていなければ。時勢に乗ったネットビジネスで当たってしまった・・・。

一か八かの仮想通貨で当たってしまった・・・。という、偶然のラッキー以外では、うまく行くことはありませんし。運や偶然のラッキーで、一時的に上手く行ったとしても結局は元の位置に戻ろうとする重力が働いてしまう。それまでに築いた自分にとっての土台部分まで堕ちてしまう。そういう意味では、「飛んでイスタンブール」になって堕ちた・・・というよりは、「元の位置に戻った」と言った方が、正確な表現なのかもしれません。

全てのエネルギーはミライに向けて!

ちなみに、僕は今「子どもの敎育」だけでなく、これを応用する形で、既に大人になっている「弟の敎育」にも取り組んでいます。僕と同じく「40オーバー」ですが、僕が弟に対してやっていることは、とてもシンプルで、弟には「0歳〜2歳」の必要パーツが大きく欠落していたので。会社経営、銀行融資、「ロイ式」という活動を通して、まずは「0歳〜2歳」を丁寧に揃えて行く。その後、「2歳〜6歳」の必要パーツを丁寧に集めもらいました。

このように具体的なミッションがあると、本人も分かりやすいのです。その結果、弟は、ようやく「250分の1」基準における「6歳児」になって来た・・・。すると、手掛けている物販「ロイ式」でも、最大月商1,000万を超えただけでなく、平均的に月商850万以上になってきました。収入で言うと、年収700万レベルに上がってきたわけです。とは言え、まだ「250分の1」基準における「6歳〜15歳」には全く到達できていない状態です。僕自身がようやく「6歳〜15歳の必要パーツ」を揃えたばかりの状態なので、これは致し方ありません。

そして「学歴」という部分で挑戦できる子どもたちも、3年かけて、「2歳〜6歳」の「必要パーツ」を揃えることができたので。長女も、「学歴フィルター」のある、「MARCH・関関同立」水準を底辺として底固めしながら。「上の大学に一発挑戦!」という形で、上の水準である「偏差値70の国立大学」にギリギリ滑り込んだ・・・と言った感じです。ですからこの状況をクリティカルに分析すると、必然の「MARCH・関関同立」、偶然の「国立大学」となり。18歳の受験時点で、何度挑戦しても「国立大学」に必ず合格できていたか?というと、正直、そんな状態ではありませんでした。

15歳という遅いスタートの代償です。分析によると合格率50%だった・・・。けれども、それでも取れた結果は結果として、新たなフィールドで、18歳までに集めきれなかった、6歳〜15歳の「必要パーツ」を、大学4年間で集めていく計画を立てて実行しているのです。このように、両親である僕たちが、「250分の1」基準の、0歳〜2歳、2〜6歳の「必要パーツ」を揃えて来なかった事実を事実として認め。見栄も、外聞も、恥じらいも、そういうものは丸めてゴミ箱に捨て去り、全ては「250分の1基準」の「成功=シアワセ」基準一択で、真剣に取り組めば。自分も家族も関わった周りの人たちも、短期間で激変を遂げていきます。

マスターヒロさんが大切なご子息に「250分の1」基準の「成功=シアワセ」を紡ぐべく、25年の歳月と、億単位の資金を投じて完全体系化された「0歳〜18歳の教育論」。それを今、僕たちは有り難く学びながら実行させて頂いている最中です。この中に僕たちが本当に知りたかった、「250分の1基準」の答えの全てが凝縮されています。僕自身も、40オーバーで、2歳〜6歳のやり直しをしました。基準はあくまでも、「250分の1」なので、・250分の1:世の中の非常識・250分の249:世の中の常識・普通とも言えるので、スタート地点で、「250分の1」基準で、遅れていることそのものは、恥ずかしくも何ともありません。

大切なのは、事実を事実として受け入れ、過去を振り返って下を向いているのではなく、全てのエネルギーをミライに向けて、顔を上げて真剣に取り組むことです。僕たちは「時間軸」的に、「既に遅かった・・・」ということでも、子どもたちの人生はこれからなのです。両親である僕たちが変われば、自ずと子どもたちは変わります。共に「0歳〜18歳の敎育コミュニティ」『ワンチーム』で。自分たちがオンタイムでできなかったことは、「子どもたちにミライを託す」形で、恥も外聞も捨て去り、真剣に取り組みを始めましょう!