20年前の私に強く言ってあげたいこと・・・

  • 2022.01.20
  • 2022.01.20

どうしてあの時の私は、真剣に、頑張らなかったのだろう・・・。過去を振り返り今、絶望的に後悔をしている。20年前、せっかく目の前に自分のミライを変えるチャンスがあったのに。私は、自分に言い訳をして、逃げ出してしまった・・・。サラリーマンとしての、目の前の仕事に没頭することで。

自分のミライから、目を背けてしまったのだ。その結果が今、こうした悲惨な状態で、老後を送り続けることになってしまった。よくよく考えてみれば、こうなるのは、当たり前のことだったのに・・・。できることなら、20年前に戻って、人生をやり直ししたい・・・。

崖から転がり落ちた老後

「なんでこんなつらい思いをしてまで長生きしなきゃいけないんでしょうか?」毎日私は、そう思って生きている。人生の最後がいつやってくるのか?それも分からない。着古したジャージに身を包み、つぶやくことしかできない。木造アパートの自宅でひとり「亡骸」のような日々を送っている。

自分で炊事をする気力もない。食事は日に一食。夜になれば、スーパーで半額になる弁当を買うか。吉野家の牛丼を食べに行くのが日課。近所付き合いも無いし、趣味に講じる仲間もいない。毎日することは、特に何も無い。家に閉じこもって、スマホで「V-TUBE」を眺めていれば、一日が過ぎていく。

こんな惨めな生活をしているなんて。かつての同僚たちには誰にも言えない・・・。定年退職後、始めのころは、友だちも多少いたのだけど、闘病生活後に貧しい状態になってからは、貧しさを知られたくないから、付き合いを避けてしまった。両親の他界後、兄弟らには家族もいて、煙たがられるだけだから、もう10年以上も連絡を取らなくなってしまった。

大学卒業後、企業に就職。38年間勤務して、60歳で退職。定年後は、穏やかな老後を迎えようとしていたのだけれど。定年してから半年後、癌が見つかってしまった。病院を転々としながら、最新の放射線治療も受けた。漢方や健康食品など、身体に良いと聞いたものは、何でも試した。これで最後を迎えるのか?と思いながらも闘病生活を続けていたところ。癌が治り、生きながらえることができた。

しかし、サラリーマン時代に貯めたお金は5年間の闘病生活の中で、みるみるうちに目減りして。気づいた時には、すっからかんになってしまった。今更、就職することもできない。新たにビジネスを起業するなど、そんな気力も体力もないし、原資もない。現在は、月10万の年金だけでギリギリの生活をしている。10万円の年金収入から、家賃6万円を引けば。手元に残るのは4万。1日当たり500円以下の切り詰めた生活を送っている。

最近では、少し具合が悪くなっても、病院にも行けない。検査なんかしたら、なにか悪い病気が見つかるにきまっている。正直、毎日、目が覚めるために気が重くなる。何度も死のうと考えたけれど、結局そんな勇気もなかった。ただただ、同じ毎日を繰り返すことしかできない。ある程度の貯金があるのだから、独身貴族を貫き通して、悠々自適な老後を送れると漠然と考えていたのに。

気がつけば今、厳しい現実と向き合わざるを得ない。少子高齢化が進み、年金の給付水準が、年を追うごとに下げられる一方。医療や介護の負担も重く、崖っぷちでとどまるどころか。崖から転がり落ちてしまうことになってしまった。

20年前の私に強く言ってあげたいこと・・・

願わくば、20年前、40代だったあの頃に戻りたい。まだ気力もあったし、体力もあったあの頃に。そうすれば、逃げずに取り組みたい。あの頃の私が、知ってしまったこと・・・・。まだ、サラリーマンとして働けている内に。勤務している会社に内緒で、会社法人を設立。「新規創業融資」の制度を活用して、1,000万〜2,000万の資金を獲得。

ネット物販ビジネスを起業して仕組みを構築。会社法人の決算書を考慮して、ビジネスでの、売上・利益を立て続けながらも。銀行からさらに追加で「資金」を獲得する。その「資金」を再投資する形で、外注スタッフを雇用して、自分がそれほど労働をしなくても、稼ぎ続けられる仕組みを構築。その状態で、会社法人の規模を上げて行きながら、新たに、番頭候補の若手を雇用。

育成して、自分の代わりに「ネット物販ビジネス」を営んでもらう。この状態で、さらに「資金」を積み上げて。その一部を、絶対に負けない投資の方法で、「資金」を減らさずに増やす。・・・そんな方法を知ることができていたのに。私は結局、取り組むことはできなかった。あの頃に戻れたら、60歳の還暦を迎える前に、「不労所得」を得られる状態を構築したい。

そうすれば、私自身が病気を患って、手足を動かす労働ができなかったとしても。自分が「経営者・投資家」として、頭を使うだけで、稼ぎ続けることは、できていたはず。会社の社員、スタッフ、経営者、投資家の仲間たち・・・。もっともっと沢山の仲間たちに囲まれた、素敵な老後を過ごせるようになれていたはず。

そうなれる方法は、目の前にあったのに、私は言い訳をして、逃げ出してしまった。だから、もしももう一度、あの頃に戻れるのなら。今度は逃げずに、挑戦したい。今、こんな惨めな思いをして、耐え続ける毎日を送るくらいなら。まだまだ頑張れた、あの頃に踏ん張って、頑張るべきだった・・・。

思えば、私の人生は、そういうことの繰り返しだった。高校受験のときも、頑張らずに適当な高校に進学。大学受験の時も、頑張らずに入りたい大学ではなく、入れる大学に進学。その結果、定年退職までは、職を全うすることはできたけど。ずっと部下のいない万年係長のまま。会社の中でも、最後の最後まで、ただの一度も泣かず飛ばずのサラリーマン生活を送り続けることになってしまった。

その時も、学生時代に戻ることができるのならば、もっと高校受験・大学受験と頑張ったのに・・・。そう思っていたはずなのに。結局40代でも、逃げずに頑張ることはできなかった。こうして、たどり着いてしまったのが、今の私の姿である。願わくば、40代のあの頃の自分に言ってあげたい。「今頑張らなければ、いつ頑張るのか?」と。「頑張るのは、今ではないのか?」と。「人生の転機というものは、そう何度も訪れないよ!」と。

追伸・・・
あなたのミライを変える転機は「いつかきっと私も・・・」ではなくて。今なのだ。
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