夢の月収1,000万よりも、現実の目標年収500万
- 2022.03.24
- 2022.03.24
「大きな夢を持ちましょう!」と言う考え方が横行しています。しかし、これこそまさに、「不幸」への始まりです。例えば年収、現役サラリーマンが「起業・独立」でお金持ちになろう!などという夢や希望を抱いてしまうと。いつまで経っても達成手段など見えることはなくて。夢や希望は、失望に変わり、絶望に堕ちるだけです。必要なのは、現実に達成できる目標だけなのです。
目次
「夢」は詐欺師の常套手段
「夢、叶う、シアワセなお金持ちへ」などと語っている方々は、大抵詐欺師です。「自分がなりたい姿をイメージすれば自動的に夢は叶う」という言葉を用いるのはその典型的なものです。なぜなら、言っているそばから、「叶わないと」断言してるようなものだからです。「夢」という言葉に騙されたり、翻弄されたりしてしまうとしたら、そもそも論で、お金持ち云々どころか、日本語の読み書き読解ができない可能性があります。
夢(ゆめ)将来実現させたいと思っている願いだが、現実からはなれた空想、非現実的なことに使われる例えば、「私の夢は、東横線に乗って8時に渋谷駅に到着することです!」・・・と、現実的に達成可能なことには、「夢」という単語は絶対に使いません。
「私の夢は富士山の山頂に到着することです!」・・・というのも、普通にやる気になれば誰でもできるじゃん。。。ということで、「夢」という単語は使いません。「私の夢は、いつか月に行くことです!」・・・などと、達成手段とその期限の見えないことにしか使わないのです。
「夢」という単語は、本来達成手段の見えないことにあやふやな感じで妄想に浸らせるには抜群の効力を発揮させる非常に使い勝手の良い言葉で。言葉を正しく理解できない層の方々に、何かを売り込んだりする目的としてはオールマイティな単語でもあるわけで。こういう層の方々は、「この財布を持ったら宝くじを当てて億万長者になれました!」みたいなトークにも簡単に引っかかってしまう。
インターネット上にも、沢山横行しているものでもあります。この手の詐欺師的な方々は、「夢」を否定することを、「ドリームキラー」と称し、あたかも悪者のように仕立て上げ。「夢」から醒めない状態を、なるべく深く、長く作り上げようと誘導してきます。
しかし、現実は「夢」は所詮「夢」であり。仮に「そのお財布」を持ったところで、宝くじに当たって億万長者になれるなどということは、絶対に起きないわけです。「夢」を持った方々に待ち受けているのは、失望に変わり、絶望に堕ちる、不幸なミライだけなのです。
サラリーマンが翻弄される独立後の「夢」
サラリーマンとして就労している方々が、40代を迎えた後で平社員の状態だとしたら。「私の夢は、 部長になることです!」とは、誰も使わないと思います。なぜなら、40代にもなれば、自分が今から残りの年月で部長になれるかどうか?他の誰よりも、自分が一番良く現実を分かっているからです。
ところが、そんな社内では現実的な日常を送っているサラリーマンの方々でも。「独立後」の世界のことには「夢」という単語を頻繁に乱用する傾向があります。例えば、40代のサラリーマンが、「私の夢は、起業・独立して、お金持ちになることです!」という感じでは、普通に使ってしまう方々が多いわけなのです。
孔明「どうやってお金持ちになる夢を叶えるのですか?」と尋ねると、サラリーマン「その夢実現の方法を今勉強しているところです!」とはぐらかされてしまいます。
そういう方々の、1年後、2年後を確認してみても。実際、何も状況は変わっていません。お金持ちに近づくどころか、単に年齢を重ねて、心身の堅牢性が衰えてしまい、ますます夢が夢の状態へと陥ってしまっているのです。「夢」の怖いところは、現実に達成手段の見えないことを「夢」と言うので。今いる地点と、夢地点までの距離も全くわからないし。今学んだり、行動・実行していることが。その夢地点の方向に向かっているのか?離れているのか?も全く分からない状態のままだということです。
なぜなら、夢地点が具体的になったら、「夢」という単語を使わずに、「目的地」に変わっていますし。「目的地」が明確に分かった状態で、達成手段と期間が分かれば「目標」という単語に変わっているはずだからです。「夢」はあくまでも「夢」なので、何を考えようとも、何を行動しようとも、フワフワ、グルグルのまま。近づいているのか?近づいていないのか?良いのか?悪いのか?ありとあらゆる基準が発生しない状態のまま、彷徨い続ける状態に陥ってしまうのです。
だから、フト我に返って「夢」から醒めた時、夢や希望は、失望に変わり、絶望に堕ちるのです。具体的に言えば、夢から醒めた時点で、自分が到達したい目的地を見た時。「間に合わなかった・・・」ということが発生することもあるわけです。
「夢」の金持ちよりも現実の「年収500万UP」
「お金」の世界では、特に「夢」という言葉が多様されているようで。大人になってまで、「夢」を見続けてしまっている方々が沢山います。特に、現役サラリーマンの方々が、「独立」後の世界に「夢」を抱いてしまっている度合いがあまりにもひどい傾向があります。
孔明「あなたの目標年収はいくらですか?」と聴いているのに、「私の独立後の夢は、月収1,000万」・・・とか、「夢」で返答して来られる方々がかなりいらっしゃいます。月収1,000万というのは、年収1億2,000万ということです。それだけ稼げる見込みがあるのなら、たかだか、月収30万程度のサラリーマンを継続している意味が分かりません。一刻も早く、独立して年収1億2,000万を達成するべきです。しかしそれができないのは、これが目標ではなくて、「夢」だからです。
月収1,000万を取っている方々は、日本では全就労人口の内上位2万人位しかいないのです。そんな実力があれば、40代まで月収30万で甘んじ続けているのもおかしなお話です。やはり、「夢」の1億2,000万では、目先の現実月収30万を捨てることはできないのです。まあ、そういう意味では、ある意味本当は現実を知っている・・・とも言えるわけですが。しかし問題は、「私の夢は月収1,000万」といつまで経っても「夢」を抱いていたままでは。一向に、「成功=シアワセ」な人生を歩むことができない。
年月の経過と共に、自分の心身の堅牢性が老化によって衰えて来てしまうので、不安と悩みの気持ちが積り重なり、強くなっていく一方です。一方で、「独立後&老後の準備のため自営で年収500万達成」という目標を立てて、実行した場合はどうでしょうか?年収500万は、年収1億2,000万の24分の1で。月収1,000万と比べれば金額的にはかなり小さく見えるかもしれませんが。サラリーマンが、自分で立ち上げたビジネスで年収500万を達成できたら、大きな意味があります。
年収500万というのは、日本で夫婦二人が老後に比較的ゆとりある生活をして行ける金額です。サラリーマンのお給料による年収500万は、勤務されている会社からリストラされて追い出されたりすればゼロになってしまい。その状態から、50代、60代での再就職は本当に困難だし、再就職できても地獄のような労働の日々が待ち受けているわけですが。自営のビジネスとして自力で500万を稼げるようになると。いつリストラされても怖くなくなります。
自営の場合、自分が辞めなければ続けられるので。50代、60代で自力で年収500万を稼ぎ続けることができれば。少なくとも、ブルーワーカー的なお仕事しか残っていない再就職をすることはなくなるわけです。例えば、「ロイ式」「ケイタ式」のように、自宅でパソコン一台でできる年収500万を稼げる手段を持っていれば。冬は暖房の効いて、夏は冷房の効いた家の中でぬくぬくと、お仕事を続けられるわけです。サラリーマンにとって、この安心感はかなりのものだと思います。
達成手段の見えない月収1,000万を夢見たままなのか?具体的に達成手段のある年収500万を目指し現実に実現できるのか?夢の月収1,000万現実の年収500万どちらが「成功=シアワセ」な人生を歩めるのか?この答えは本来は明らかなわけです。