「子どもの教育」に明確な「基準」はありますか?
- 2022.05.24
- 2022.05.24
何を「基準」に子どもの教育に取り組むのか?「基準」ってめちゃくちゃ大事です。「基準」が無かったり。「基準」を持っているつもりになっていても。目指すところとの「基準」そのものが間違っていたりすると。習い事、スポーツ、勉強何に取組んでも、グチャグな状態になってしまいます。何に取り組むか?よりも、何を「基準」に考え取り組むのか?の方が、実は重要です。
逆に言うと、両親に明確な「基準」がない状態で、どんな学校に通わせようとも、何を習わそうとも、「やってみたら結果こうなった・・・」的な「運ゲー」にしかなりません。海を浮き輪でプカプカ浮かんでいる状態で。子どもたちが18歳、22歳を迎えた時に、たどり着いた場所が「ココだった・・・」的なことにしかなりません。その場合、往々にして、ステキな場所にたどり着くなどということには、まずなり得ません。
目次
うちの子、◯◯が得意なんです!
お恥ずかしい話、メンターであるマスターヒロさんから教わる前のかつての僕も、同じような状態でしたが。「基準」が’無いと、容易に次のような言葉がポロリと口からこぼれてしまいます。「うちの子、◯◯が得意なんです!」両親が第三者に対して、誇れてしまう、得意だと言語化できるものがあるというのは、それはそれで喜ばしいことだと思います。そして、「250分の249」の世界では、「それは凄いですね!将来はプロとしてその道で活躍できると良いですね〜!」・・・と、微笑ましい会話にもなるのかもしれませんが。仮にこれが、子どもたちに「250分の1」の「修羅」になってもらいたい!という場合は、話が全く異なって来ます。
「得意というのは、どの基準の得意なのですか?」もう一歩、二歩、踏み込んで、「得意」と言える根拠になる「基準」をお伺いすることになります。「4人家族の中で一番得意ということでしょうか?」「クラスで一番基準の得意ということでしょうか?」「学年で一番基準の得意ということでしょうか?」「市で一番基準の得意ということでしょうか?」「都道府県で一番基準の得意ということでしょうか?」「日本で一番基準の得意ということでしょうか?」・・・と。
「250分の249」の世界で、こんな質問を返してしまったら。両親が感情的にお怒りになってしまうかもしれません。しかし、これは本来、大人から子どもまで全部一緒ですが。どんな事柄でも、必ず「得意」と言っても、同じようにそれを「得意」と言えるような方々は、世の中五万といます。例えば、僕もアニメ・漫画の世界を本業として12年間歩んで来ましたが。「漫画描くのが得意・・・」「コミフェス」に行けば、「自称漫画が描くの得意」な方々が「50万人」は来場されます。
そんな中で、「基準」も何も無い状態で「得意」と言われても。その状態が、良いのか?悪いのか?本当に素晴らしい状態と言えるのか?もっともっと高めて成長させる必要があるのか?その道を諦めて別のことに取り組む決断を迫れれるのか?・・・などなど。本来「基準」が無いと、誰もその「得意」ということに対して、何もコメントのしようが無いはずなのです。
僕は「アメフトが得意でした!」←本当に?
例えば、僕もはるかに過去のことですが高校・大学と体育会の部活動で、アメリカンフットボールを7年間取組んできました。その時に、第三者から「得意なことは?」と聞かれれば、「アメフトが得意です!」と、他のアメフト部員がいないところでは、言えたのかもしれません。大学も「アメフト」の「スポーツ推薦」で進学しましたので。「アメフト」のことを詳しく知らない第三者から見れば。「アメフト推薦で大学に進学できるなんて、孔明君はアメフト得意なんだね!」と認識するかもしれません。
しかし、実際は、僕が7年間「アメフト」に取組んできた中で。ただの一度も、100名近くの部員の中で一番になったことなどはありません。しかも、他の強豪校を見てしまうと、僕よりも「アメフト得意」な人は沢山いました。つまり僕は、アメフトを7年間やって来ただけ。アメフトで大学進学できたり、レギュラーとしてプレイオフに行けたり、東西オールスターに選抜されたり、というような実績として示せる事象はいくつかありましたが。「基準」を部活一だったり関東一だったり、日本一だったりにした時に、決して「アメフト得意」などとは口が裂けても言えない状態だったのです。
また、仮に僕が日本で「アメフト一番得意」になれていたとしても。「プロ」として活躍出来るか?という「基準」から見るとどうなのでしょうか?本場アメリカの「アメフト」のプロ、NFLプレイヤーとして活躍できれば。年俸60億円〜250億円・・・などヤバい年俸を獲得できる、米国では野球を凌ぐ一番人気のスポーツではあります。しかし日本人として、「アメフトの本場」アメリカの米国で活躍できたプレイヤーは、ただの一人もいないので。どれだけ日本で一番になっても、所詮は「日本基準」で「得意」ということにしかなりません。
日本ではプロは無いので、「アマチュアレベルで得意」としか言えない現状なのです。このように、一言で「得意」と言っても、どのくらい「得意」なのか?その「得意」具合を示せる「基準」がセットで必要になるはずなのです。この「基準「が無いとどうなるのか?例えば、分かりやすい一例として、人気大学の推薦の時、人気企業の就職活動の時、「得意なことはアメフトです!」などと、工夫もひねりも無く「部活で取組んできた=得意」だと言語化してしまうと。面接官「でも、あなたより アメフト得意な人は 沢山いますよね?」・・・と突っ込まれて玉砕します。
「英語」でも、「私は英語が得意です!英検1級です!」言語化しても、面接官「英検1級は毎年2,500人は合格してますよ!」・・・目指すところによっては、「得意」と言ってる事自体に、クエスチョンマークしか、浮かばなくなるわけです。それ以外にも、ありとあらゆる面で、こういう考え方から来る基準が全く無い「安易な言動」が口からこぼれてしまうので、結果として、「250分の1」の領域では、取れるものが皆無になって来ます。結果として、「私◯◯得意です!」と安易に言語化してしまう方々の大多数は、「250分の249」の・・・しかも上位でなく、中くらいに居続ける方々が大多数になります。「修羅」どころか、「お山の大将※」にしかなれません。
※「お山の大将」とは?
小事を成し遂げた実績を得意に語る人。また、つまらぬ仲間内でも偉ぶる人の性格を指す自分より目下の人間ばかり集めたグループを作り、その中で威張った態度を取る人。例えば、スポーツの強豪校では補欠だった人が 弱小チームに移籍してエース扱いされ得意気になるなど。
「目的地」があるから「基準」が生まれる
勘違いしないで下さい。全て「日本一」基準や、「プロ基準」でないと、取組んではダメなのか?というと、そういうことを言っているわけではありません。あくまでも、それぞれの「家族チーム」の「目的地」がどこなのか?定めることによって「基準」が発生します。その「目的基準」によって、それぞれの家族チームの取り組みが、良いのか?悪いのか?例えば、習い事、スポーツ、勉強、それぞれに対して、どのレベルまで高めるべきか?取り組む「基準」も発生するのです。
例えば、子どもたちが22歳を迎えて社会に出た後で。「就労人口の上位10%で 活躍できるようになってもらいたい!」(≒年収7、800万想定)というのであれば、習い事、スポーツ、勉強・・・。取り組む際「目的基準」は、「就労人口の10%」となり。そこから逆算された大学→高校→中学→小学→幼稚園→未就学児「基準」でお話して行くことになるのです。
「就労人口の上位10%では、人生の選択肢が十分とは言えない!子どもたちには、なんとしても「250分の1」、年収2,000万を取れるようになってもらいたい!」というのであれば、同じように、「目的基準」は、「就労人口の0.4%」となるわけです。この際、両親が口では「就労人口の250分の1」と言っているのに、「うちの子頑張ってるんです!」「うちの子◯◯がこんなに得意なんです!」「250分の1」から逆算された状態になっていない、または、基準そのものが間違っている場合。「得意!凄い!」と連呼されたところで。「その得意に基準はありますか?」「得意の基準が おかしくないですか?」・・・と言うことにもなって来るわけです。
なぜなら、仮に両親が「基準が無かったり」勝手に構築した「自分たち基準」で物事を判断したり、納得したりしてしまう延長には。間違いなく、「子どもたちが250分の1に 到達できないミライ」しか待ち受けていないことは確かだからです。基準が無かったり、間違っていたりすると、結局は親子共に「250分の1」どころか、「250分の25=10%」より高いところにあるものは、何も取れなくなって来ます。
それほど、社会は、自分たちだけに「基準」を合わせてくれることはありません。「250分の1」を目指して子どもの教育に取り組む際には、必ず「基準」が必要になりますし、「基準」のクオリティにおける現実を知ることが求められるのです。
追伸1
「プラチナ人生設計図プラン」では、マスターヒロさんから、それぞれの「家族チーム」の目指す目的に合った「基準」を教えて頂けることで。「目的基準」が生まれ、「目的基準」からブレることなく、考え・行動することができるようになれます。その結果・・・両親が費やすお金・時間・労力、一切無駄なく。目的地に到達出来るのです。マスターヒロさんの0歳〜18歳の「プラチナ人生設計図」プログラム審査の個別面談申込みフォーム→ https://kitasociety.com/oneteam-mensetsu
※「第一回目」の講義は2022年6月末スタート予定※少人数限定開催の直接講義プランなので、人数オーバーした場合は「ウェイティングリスト」への審査になります。その場合「年単位」でお待ち頂くことになります。
追伸2
1日3分LINE@「ワンチーム」を通して、両親であるご自身が、「子どもの教育」について学んで頂くことを、推奨致します。『LINE@コミュニティ・ワンチーム』https://p.kitasociety.com/line