「まず、やってみよう!?」失敗を前提とした言動はとても危険!
- 2023.05.31
- 2023.05.31
「まず、やってみよう!」この言葉の解釈を間違えてしまうほど、「ビジネス・投資」の活動において危険なものはありません。この安易な気持ちではじめた一手が、最も貴重な時間を大きく浪費させることにつながりますし。多額の資金を失うことにもつながるからです。
「物販ビジネスを、まずやってみよう!」中国のECモールから商品を日本に仕入れて売ろうとしたら、日本基準では、不良品に該当するものばかり。不良品管理を乗り越えて出品してみたけれど商品が全く売れなかった・・・。大きな額の資金、投資した人的資本(時間と労力)、その全てが無駄になってしまう。
「株式投資」をやろうと、インターネットで得た情報を頼りに、退職金としてまとまって入った資金で株を購入した途端。右肩下がりに下がって行って、そのまま放置するしかなくなってしまった・・・。サラリーマンとして一生懸命勤め上げた約38年間の苦悩の結果が全て無駄に。「まず、やってみよう!」で始めてしまった後のこうした末路は多々耳にしますよね。
「物販ビジネス」や「株式投資」を始めれば何をやっても良いというわけではありません。「成功する方法だけ」を学んで取り組むことができないと、成功に向かうどころか、やればやるほど、元の場所に返ってこれない程の失敗に発展するかもしれません。
何となくの感覚的なものを頼りに、曖昧な状態でスタートしてしまったとしたら。取り返しのつかない「大失敗」へとつながるのが、ビジネス・投資の世界です。だからこそ僕たちは、絶対に失敗を避けるべく、何か行動を起こして見る前に、「情報武装」をすべく徹底的に学び。予め起こり得る失敗を回避させながら、取り組むという順番で、新たな「ビジネス・投資」の活動に、取り組むことが求められるのです。
限られた年月の中、既にかなりの年齢に到達してしまった僕たちには。失敗したり、遠回りしたりする時間は残されていませんからね。予め起こり得る失敗は、極力避けた状態で。正しい情報を元に、徹底的に勉強して、「情報武装」した上で、失敗怪我をしても、擦り傷程度ですむイメージで、ようやく「まず、やってみよう!」という言葉と共に、足を踏み出してみるのです。
目次
学生時代とサラリーマンなら許される
「まず、やってみよう!」学生時代の活動であれば、
お勉強:まず算数のドリルを解いてみる
語学:まず外国人に英語の挨拶をしてみる
スポーツ:色々なスポーツをお試し程度にやってみる
音楽:楽器で音を奏でてみる
美術:見よう見まねで絵を描いてみる
「まず、やってみよう!」と言葉とともに、色々なことをお試しでやってみたとしても、大きな失敗につながるケースは無いものが多いです。
例えば、僕は高校生の時に、危険と言われるコンタクトスポーツのアメフトを始めましたが。部活の勧誘活動の時などには、まずお試しにボールを投げさせてくれたり。ダミーに当たってみたり。「まず、やってみよう!」という感じでスタートしても、先輩たちなど、他の誰かが見守ってくれている状態であれば、危険なことにはならないと思います。
また、サラリーマンとしての就労の世界でも。大きな資金を動かす業務だったり、重要な取引先の担当だったりに、イキナリ新人が独りで任せることはありえません。上司、先輩が見守ってくれている範囲内で、「まず、やってみよう!」ということになるので。どれだけ思いっきり行動したところで、リスクというものはありません。
むしろ、サラリーマンの世界では、億単位の損失を被ってしまった・・・などの、担当者として大きな失敗をしてしまったとしても。それが、正式に上司の許可があるものだったら、その失敗は自分が責任を取らされることはありません。(ブラック企業は別かもしれませんが。笑)
かつて僕が勤務していた会社では、1つのプロジェクトで、500億円もの損失を被ったものがあったけれども、そのプロジェクトを手掛けていた部長さんが、取締役へと昇進していました。当然、上司への「報・連・相(ホウレンソウ)」が無く、自分が独断と偏見で、勝手に突っ走ってしまった失敗は、責任を取らされたり、リストラ対象になったりしてしまいますが。「報・連・相」を経た失敗は、自分のせいになるわけではないし。少なくとも、自分の個人口座から、損失した分を補填することになった・・・などということは起こり得ません。
失敗の許されない「ビジネス・投資」
学生時代の「まず、やってみよう!」サラリーマン時代の「まず、やってみよう!」この段階までの、「まず、やってみよう!」は、ある意味、ノーリスクとまでは言えないかもしれないけれどもノンリスク。失敗したところで、大した問題にならないし。むしろ、「失敗から学んだ・・・」などという悠長なことを言っていられる余裕があると思います。
実際僕も、学生時代、サラリーマン時代共に、「まず、やってみよう!」ということで、勢いよく実行して、失敗したことは何度もありますが。失敗に対して、僕個人の懐が痛むことは一切ありませんでした。ところが、自分で起ち上げる「ビジネス」と。株式・不動産などの「投資」の世界では、話が違ってきます。
学生時代の活動や、サラリーマンでのお仕事にように、「まず、やってみよう!」という感じで、失敗しても、しなくてもどっちでも良い的なノリで、適当な想定と準備で、スタートしてしまうと、大きな失敗・・・につながる。下手すると、元の場所に戻ってくるのに、10年以上もかかってしまうことに発展してしまうことが多々あります。
僕の30代前半の頃の、「事業投資」で累計◯億円が「飛んでイスタンブール」というのは、その典型的なパターンだと思います。幸いなことに、他人からお金を借りてやっていたわけではないので。マイナスにはなりませんでしたが、それでも約10年近くに渡り積み上げた「資金」が消滅しました。失敗した年齢によっては、たった一度の失敗で、イキナリ「ゲームオーバー」というケースも沢山あるのです。
「失敗から学ぶ」などという言葉が通用するのは、学生時代とサラリーマン時代にしか通用しない言葉であるということをシッカリ認識しておかないと。自営の世界や、投資の世界で、生き残り続けることなどはできないとハッキリと言えてしまいます。目をつぶって我武者羅に猪突猛進して運良く上手く言った・・・などということはまず起こらないでしょうし。しくった時には、谷底に落ちてしまう危険性も高い世界なのです。
失敗の余地などただの一度も無い!
「ビジネス・投資」の世界においては、「まず、やってみよう!」「失敗から学ぶ」などという、予め失敗を前提にしてしまった甘い考え方と行動は、完全に、根絶するくらいの勢いで取り組まないと。継続的に上手くいくどころか、大中小の失敗を積み重ねることによって。とても大きな資金と人的資本(時間と労力)そのすべてを喪失してしまうことにつながります。
そうこうしている間に、資金が完全に途絶えてしまったり、年齢が嵩み心身の堅牢性が崩れてしまったり。「人的資本(時間・労力)」を投資して稼ぐ方法が実行できなくなった時点で、復活が無理な「ゲームオーバー」状態に突入してしまいます。
人生の終焉を迎えたら、失敗したら学んでもリカバリーのために行動する(時間・労力)が限りなくゼロに近づきますからね。仮に、配偶者や、子どもたちなど、扶養する家族がいた場合、家族全員から、人生の中での「選択肢」を奪うことにもつながります。これで果たして「自分の人生は、成功=シアワセだった・・・」と言えるのでしょうか?
例えば、僕のように今年47歳を迎えるような年齢になると。もう、ただの一度も失敗は許されない時期に突入していると言えます。どちらかと言えば、これからは無敗で成功だけを積み重ねるべく。大きなリスクを取る必要もなく、60歳の還暦に向けて着実に歩みを進めるだけの状態です。僕たち人間の寿命には限りがある。
「失敗の余地などただの一度も無い!」だからこそ僕たちは、起こり得る失敗を避けるべく、まずやってみよう!→失敗→反省して学ぶという順番ではなく、学ぶ→失敗を回避しながら実行する何か行動を起こして見る前に、「情報武装」をすべく徹底的に学び。着実なる成功だけを、積み上げていくことが求められるのです。絶対に失敗しないためには、「失敗から学ぶ」のではなく「成功だけから学ぶ」。
・正しい情報や設計図を見極めて手に入れる
・講師に何度も繰り返し質問して正しく情報を解釈したり設計図を習得する
・階段を作っていくような形で、計画的に実行して行く
一つ一つ丁寧に、考え行動して行く必要があるのです。
追伸1
「ビジネス」「ケイタ式」は、素晴しい「設計図」の一つですが、ゼロイチ段階の解釈が間違ってしまうと、無駄に人的資本(時間・労力)の浪費につながります。正しく「設計図」を理解、解釈するためには、6月4日(日)10時〜開催される、「ケイタ式・地獄のゼロイチ合宿」に参加下さいね!
『「ケイタ式」地獄のゼロイチ合宿』6月4日(日)10時〜18時半頃まで https://m.kitasociety.com/230604-hon
追伸2
「投資」「株式投資」を安易に捉えて適当にやってしまうと、長年に渡り苦労して積み重ねた資金の消滅につながります。基本的に「株式投資」は、選ぶ、買う、売るのことだけしかしない稼ぎ方ですが、だからこそ、正しい「考え方」と「やり方」その両方を学んで理解・解釈する必要がありますね。
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