両親の「教育の義務」と子供の「選択の自由」

  • 2020.04.12
  • 2020.04.12

◯「教育の義務」を果たしてるだろうか?

両親の「教育の義務」と子供の教育の「権利」について。「教育の義務」を果たしてるだろうか?「教育の義務(26条2項)」は、

  • 勤労の義務(27条1項)
  • 納税の義務(30条)

と並ぶ日本国憲法に定められた「国民の三代義務」のひとつ。日本国民として生まれ育ったからには
義務を負うことになる。

「教育の義務(26条2項)」
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

国は国公立という形で、授業料・教科書無償で教育を受けられる場を用意してるから親は子供に9年の普通教育を受けさせる義務がある。子供を持つ親または保護者は、子供が満6歳?12歳まで小学校6年に終了後満15歳まで中学校3年に就学させる義務を負う。日本国中の市町村にも、子供を持つ親にこの義務を全うしてもらうために、授業料を徴収しない、必要な小学校、中学校を整える義務がある。
(義務教育諸学校の設置義務)

これが、全国隅々まで整えられてる素晴らしい国、それが僕たちが生まれ育った日本なのだ。

日本の義務教育の環境整備徹底具合はすごい。何が凄いのかというと、日本国内だけではなく、日本居住者の多い国と地域にも完全配備させていること。

僕が家族と一緒に住んだ事がある

  • 香港
  • 中国上海
  • 中国広州
  • マレーシアジョホールバル

その全てに、 9年の普通教育を受けさせる 義務を全うしてもらうための日本人学校があった。これは凄いことだと思う。つまり日本では、親が子供に、「お金が無いから子供に教育を受けさせることができませんでしたゴメンナサイ!」という言い訳が絶対できない状況が完璧なまでに整えられていることになる。

孔明の母は大卒後?定年退職を過ぎた69の今に至るまでずっと現役で地方公務員教員職、この活動の一部にサービスを提供し続ける側として従事し続けていることになる。

◯親の「義務」と子供の「権利」

「義務教育」について論じる時に間違えてはならないことは、子どもたちに教育を受ける義務が生じているわけではない。子どもたちには教育を受ける権利があるだけで、子供の両親側に子どもたちに教育を受けさせる義務が生じている。

日本国内は当然のこと、日本人が多く住む海外の主要な国と地域では、義務遂行に言い訳ができない状況。ジョホールバルでは日本人がたったの1,000人くらいしか住んでないのに日本人学校があるのには驚きだ。

日本国民として子供を持つなら、最低限6歳から15歳までは子供に学校教育を受けさせる義務が生じる。しかしこの時重要なことがある。

それは、本当は子供を学校に行かせたくないけど「しなければならない」から子供に教育を受けさせている・・・という気持ちで義務を遂行することはとても勿体ない。どうせなら子供に学校教育を受けさせられる期間を最大限有効活用したいものだ。

親子共に「義務教育」の有意義な時間を過ごしてもらうために、両親の「教育の義務」の見解を深めようではないか!人生の中で国民全員に平等に与えられたこの期間を、受け身でイヤイヤ過ごすのか?能動的に有意義に過ごすのか?

親子ともにその考え方と行動で現在とミライは雲泥の差になって来る。逆に言えば人生の中で限られた大切かつ基調な時間とも言えるのだから。

◯義務教育の内から自由自在にミライをデザイン可能

子どもたちが大人になった後のことは子どもたちの勝手だから・・・とりあえず子供には学校に行かせたのだから・・・後は稼げるようになろうが貧乏しようが子どもたちの自由。と考える両親たちが多いことが分かる。(かつての僕もコッチ派だった・・・)

しかしこれはとてもとても勿体ないと思う。そして知らないって怖いと思う。「子供は子供だから親としては学校に行かせてあげるだけでいいじゃん!小学校・中学校の義務教育を終わらせそのまま惰性的に高校・大学を卒業すればそのまま勝手に子供は大きくなって行くでしょう!社会に出た後は子どもたちの勝手なのだから!」と安易に考えて、子供を学校に通わせる義務を遂行するだけというのはとても勿体ないと、僕も今なら良く分かる。

マスターヒロさん直伝
0歳?18歳の子供の教育論の本質を理解すればするほどに、子どもたちの将来の収入レベルを義務教育の内から自由自在にデザインできてしまうことが分かってしまう。その具体的な方法を知っている状態で、幼稚園・保育園、義務教育、高校までの時間を一緒に過ごせると強い。限られた期間を、親子共に有意義に過ごすことができるし。それがミライへと着実につながっていくのだから。

◯「放置」で凄い子供に成長!は参考にもならないお話

当然ながら世の中には、「私は子供のことずっと放置して来たけど子どもたちは勝手に勉強してくれて良い大学に入ってくれて勝手に良い就職先見つけてエリートになりましたよ!」というパターンも稀に存在するが、それこそ偶然のラッキーでただそうなっただけなので何の参考にもならないお話。

「子供が勝手に成長」系は、偶然買った宝くじが大当たりしてラッキーだったと言ってるのと同じ。そうして育てられた子供が大人になった時、仮に子供自身は偶然的に天才や超人になれたとしても。その子供に子供が生まれた後同じよ子供を放置してれば、勝手に育つという考え方を持ったままなのだから。しかし、偶然のラッキーはそう何度も続いてくれない。その次の代は確実にダメになるのも確率的には必然なのだ。

僕たちがマスターヒロさんから学び遂行してる「0歳?18歳の子供の英才教育論」では、偶然的な、ラッキー要素を完全排除。根拠のある成功のみを積上げて行くことが求められている。「根拠」のある成功は兄弟でも、何代に渡る末代までも、超人や天才ではなく凡人として生まれ育っても、継承して行くことができるが、偶然のラッキーは誰にも継承できないからだ。

天を仰ぎながら、「放置してる子供が、勝手に天才・超人に育ってくれますように!」と祈ってるだけの親。自らの意志と力で子供に向き合って、根拠のある成功だけを根拠のある教育方法で一緒に積上げて行ける親。

子供が大人になった後、そして、次の代、その次の代どちらの末裔が繁栄するのか?答えは既に決まってるわけだ。

◯収入は生まれながらの「才能」順になっていない

社会に出た後の収入は生まれながらの「才能」順にはなっていない現実から目を背けてはならない。金融資本主義の社会のピラミッドの下の方、お金が無いから自宅・車・子供の教育選択肢が持てない恵まれないライフスタイルを送ってる人たちは、才能もなく、やる気の無い人たちだけじゃない。

大人になった後で、
年収が低い人達の中には、元々の才能もやる気もある人たちは大勢いる。一方
年収が高いからといって、元々の才能があるわけでもない人たちも大勢いる。

それでも、年収が低い人はずっと低いし、年収が高い人はずっと高い。そういう現実が実際に存在してしまっている。この原因は一体何なのか?どんなところで社会人になった後の収入の差は生まれてしまうのだろうか?

この理由を親子ともに予め知っておけば。子どもたちが早期の段階で知っていればいるほど、早く準備を開始することが可能。大人になってから1年で準備するのか?子供の家から18年かけて準備するのか?ミライの結果は雲泥の差になるのは当然なのだ。

◯義務教育の裏に隠れる両親の本当の義務

義務教育の裏に隠れている両親としての本当の義務は情報の開示だ。両親には子供に教育を受けさせる義務があり、子供は教育を受ける権利があるが、「情報開示」がきちんとできていないと、義務を全うする側も、権利行使する側も、適当な考えのまま適当な行動のまま。すると子供がおとなになっても適当な結果にしか至らない。

この世界において明らかに収入格差によるライフスタイルの選択肢の広さや充実度は変わってしまう。貧乏になると選択肢は全く無いので、自ずと全てが「しなければならない」的な活動に陥ってしまうが、お金持ちになると選択肢が広がり、「やりたいこと?しなければならない」ことまで自由に選べるようになる。圧倒的な選択の自由の選択範囲の差が生じる。

両親として子どもたちに金融資本主義社会の現実を早期の段階から開示できてるかどうか?ここが重要な部分。両親としての義務は早期段階での情報の開示。その情報から選択する自由が子どもたちにある。

◯より良いミライにつながる選択の自由

何でもありの自由ではなくて、より良いミライにつながる情報からの選択の自由。世の中には、両親が「有益」な情報を早期の段階に示してくれずに、子供が子供のうちに手に入れられる有益かどうかも分からない僅かな情報の中から自由に選択していったことで、結果として大人になってから本当は才能もあったのに、ピラミッドの台形の下でくすぶってる方々は沢山いる。これはとても勿体ない事だ。

大人になった時にどうなるのか?何のために学校に通うのか?学校に通う時間をどうすごすのか?ミライから逆算された「有益」な選択肢を、両親が子どもたちに開示できてるかどうか?子どもたちが自由に選択しても、選択したのがどちらでも、大人になった後で恵まれた人生を送れるかどうか?ここが重要な部分。

何歳で知ったら遅いということは無いが、一度社会に出ると生活のための仕事をしてる今の延長上で、新たに考えて取り組みなおさなければならないので、中々軌道修正は難しい。良いと分かっていても煩雑な日々に埋もれてうやむやになったり先延ばししたりしてしまう。

「リセットボタン」押すタイミングが難しい。完全に国から守られてる形で、義務教育を受けられる日本の子どもたちなら、生活のためのお仕事というものも無いので、自分のことだけ考えて、必要とあればいつでもリセットボタンを押せる環境。その段階から10年、20年かけて準備を整えた方が、当然社会に出てから圧倒的に有利になるのは決まっているのだ。

憲法上の表向きの「教育の義務」をただ遂行するだけの時間にしてしまうのは勿体ない!ミライにつながる本当の意味での「教育の義務」=「有益な情報開示」と子どもたちの「選択の自由」の本質を学び、「義務教育」の権利行使できる内に出来る限り親子一緒に有益な時間を共に送ろう!

追伸

子どもたちに本当に残したいのは、子どもたちが自らの力でお花を咲かせ続けられる力。子どもたちから始まる末代に渡って継承する力。

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