闇雲に「頑張れ!」と言うだけ方針無し子どもの教育の危険性

  • 2022.09.27
  • 2022.09.27

子供の教育において、闇雲に「頑張れ!」ということほど危険なことはありません。なぜなら、我武者羅に頑張り続けても、必ずしも子どもたちが良い結果を出せるとは限らないからです。「頑張りなさい!」と子どもたちに命じるように言い続ける両親の考え方そのものを根幹から変えていかないと。子どもの教育は、必ず失敗すると言っても過言ではありません。

学校の受験合格、部活動の入賞など、仮に頑張った結果として、第三者から「おめでとう!」と称賛される結果を出せたとしても。その結果が、単に頑張り続けた結果、蓋を開けてみたら成功していた・・・。的なものになってしまうと。そうした結果の取り方には、再現性も何も無い。手に入れようとするモノ・コトの難易度が低い内は単純に頑張り続けるだけでも、取れてしまうかもしれませんが。そうした方法ではすぐに通用しなくになる。

子どもたちが社会に出て、「年収基準の成功」など、競争の難易度が高まる場所に立ち向かおうとした時、ただ頑張ることしかできないだけだと、たちまち詰んでしまいます。例えば日本では、低年収に甘んじ続けている方々が決して頑張っていないわけではない。毎朝早く起きて、無遅刻無欠勤で出勤して、一日10時間前後拘束された状態で労働に励み続けている。

けれども、そうして頑張り続けたからと言って、必ずしも高年収の「修羅」になれるわけではないわけなのです。受験勉強を頑張る、部活動を頑張る。日本では全体的に、一生懸命頑張る方々を褒め称える傾向がありますが。その周りの雰囲気に流される形で、ただただ頑張らせ続けてしまうと。頑張った先に成功できるかできないか分からない状態にも関わらず、頑張り続けることしかできない状態に陥ります。

そして、2、3度、頑張ったのに、成果が出なかった・・・。という、経験をしてしまうと。以降は途端に頑張らなくなってしまうことにも成りかねません。何の根拠もなく、ただただ「頑張りなさい!」という、短絡的な教育方針で、子どもたちが22歳を迎えて素晴らしい状態になれる・・・などということは、まず起こりませんので。この部分は子どもの育児・教育に取り組む両親として、よくよく考え、自分たちの教育方針を改める必要があると思います。

目的地と期限的概念の無い「頑張れ」

「頑張る」だけが危険なのは。どこに、いつまでに到達するために頑張るのか?何を、いつまでに獲得するために頑張るのか?こうした、「目標」が全く無いにも関わらず、ただ頑張らせようとしている状態です。

受験勉強でも、どこの学校に合格するために、頑張るのか?部活動でも、どの大会でどのような賞を獲得するために頑張るのか?親子共に全く目標も無いのに頑張れ!とか。これではまるで、昭和の時代の体育会的に、「お前ら頑張れ!」と、ただただひたすらグランドを走らせ続けているような、「オレ、指導者として頑張ってる!」と、指導者の自己満足を満たしているだけな、間違った指導方法と、全く同じ状態です。

こうした状況下で、真剣に走り続けられる選手はいるのでしょうか?また、ただただ頑張って走り続けた結果、何か得られる成果はあるのでしょうか?誰も頑張りませんし、頑張ったとしても、何の成果も出ません。実はこれと全く同じことを、両親が子どもたちに対して指導してしまっているケースが本当に多いのです。

こうした目標も無く、基準も無い状態にも関わらず、「うちの子頑張ってくれないんです!」などと言われても。客観的に見れば、それは頑張らない子どもたちが悪いのではなく、目標も基準も無く、ただただ「頑張れ!」と言ってるだけのお父さん、お母さんの考え方が悪いのですよ!第三者視点であれば、すぐに理解できることだと思います。

また、「目標」として、具体的な目的地を指し示した上で「頑張れ!」と言っても。その「目的地」そのものに、現実味が全く無かったとしたら、頑張ったら、目的地に到達できるかどうかも全く分からない、全然見えない状態で、ただただ「頑張りなさい!」と指導したとしても、これまた、子どもたちが自らの意思で能動的に頑張ってくれる・・・などということにはなりません。

目的地に、期限内に到達できる方法があるのかどうか?「期限内に目的地に到達する=目標」目標達成の具体的な方法が無かったとしたら、それは目標ではなく、夢や希望と言います。これでは子どもたちが「頑張れ!」と言われても頑張れるわけがないですし、逆に頑張っていたとしたら、それは褒められることではなく、何を根拠に頑張ってしまっているのか?親子共に非常にまずい状態であると、認識する必要がります。そして、実はこのケースは、めちゃくちゃ多いです。

到達手段の無い単なる夢や希望

目標も無いのに「頑張りなさい!」と言い続ける両親。夢や希望に対して「頑張りなさい!」と言い続ける両親。どちらも、両親が「頑張りなさい!」とただ言ってるだけの状態であり。その頑張った結果、子どもたちが具体的に到達する目的地も無く、期限的な概念も無く。頑張った結果の結果は何も得られませんので。これはもはや「教育」ではなく、「虐待」と言っても過言ではありません。

「うちの教育方針は自由です」自由を大義名分に放置系の「虐待」をしているよりは、子どもたちのことを気にしている?だけマシと言えるかもしれませんが。どちらも結果的に、狙った目的地に到着するわけではないですし。何よりも、子どもたちが22歳を迎えて「修羅」として社会で闘える本質的な「競争力」を身につけられるわけではありませんので。大富豪一族時期遺伝の、育児・教育の基準で考えると、高い確率で子どもの教育に失敗するという結果を迎えてしまうことは同じですね・・・。

例えば僕の場合、父はサラリーマン、母は地方公務員教員職、ずっと両親共働きで、両親が帰宅後に、ただただ「勉強頑張りなさい!」と口うるさく言われ続けましたが。勉強で頑張ることは一切ありませんでした。今考えれば、どこを目指して何をどうやって頑張るのか?全く分かっていませんでした。けれども、中学校に上がった後、なにかの機会に、地元の駅と同じ電車の路線、かなり近い駅のMARCH付属高校が、とても人気があるということを知りました。

さらには、先生方とは良くコミュニケーションを取っていたこともあり。高校に進学するには、「推薦」で入学できるという情報をたまたま耳にしました。さらに、それと同タイミングで、同じ学年の生徒が全員、体育館に集められて、進路説明会を受けました。内申点の計算方法の説明があったのです。これらのタイミングが、たまたま同時期に重なったことによって。人生の中で初めて、具体的な目標ができたのです。

MARCHの付属高校に、受験しないで楽して推薦で入ってしまおう!その瞬間、スイッチが入り。学校内の成績を「オール5」にするために、先生方とのコミュニケーションを積極的に取りながら。学校内の行事にも積極的に参加するようになったのです。その結果、2年生、3年生と、体育の4以外「オール5」になり。結果として、受験勉強を一ミリ足りともすることなく、目標として目指した、MARCHの付属校にノー試験、ノー面接の書類選考で、かなり早期のタイミングで合格してしまいました。

当時はインターネットも無い時代、こうした情報は全て口伝えが中心。そして、結果的には、学年の中でこの方法に気づいたのは、僕だけだったこともあり。当時偏差値69のMARCHの付属高校に、誰も実質的なライバルのいない状態で、アッサリと獲得してしまったのです。

あれほど両親から「頑張れ!」と言われ続けても一切頑張らなかった僕が。頑張って、高校合格を目的に2年間以上頑張り続けることができた理由。それは、全てが偶然のラッキーだったにしても、目標が宿り、目標達成までの方法を知り、自分でも、夢や希望ではなく、達成できるものだと知れた途端。人生ではじめて頑張り続けることができるようになったのです。

しかもその頑張りは、闇雲に頑張り続けるのではなく。頑張り続けた結果、ほぼ確実に目標達成につながる、頑張りであり。こうした状態に突入できると。他の誰に、「頑張りなさい!」と言われなくても、子どもたちが自発的に、意味と価値のある頑張りができるのです。しかし、こうした偶然のラッキーは、今の時代、そうそう起こるわけではありません。子どもたちが学校に通っているだけで、先生方が特別かつ個別に教えて下さるなんてことは、再現性のないお話です。

今の時代、子どもたちに目標を促すことができるのは。子どもたちの両親だけです。両親が子どもたちに目標も無くただ「頑張れ」と言っているだけではなく。子どもたちが自らの意思で能動的に、目標を抱いて、目標に向かって頑張ってくれるように促す必要があります。また、その際、頑張れば、期限内に確実に目標達成できるような、「設計図」が必要になります。

この「設計図」は、それぞれの家族チームによって異なりますので、この失敗しない「設計図」をどう構築するのか?ここが両親の腕の見せ所でもあるのです。