晩年詰まないように、今できることは今の内に

  • 2022.06.26
  • 2022.06.26

ヤバい・・・。一人でパソコンに向かっても、なかなかやる気が湧き起こらない・・・。今の内に起業したビジネスで稼げるようになっておかなければ、このまま年を重ねていくと必ず詰んでしまう。。でも今日だけは良いか、疲れているんだし、寝てしまおう。明日から始めれば良いじゃなないか。また明日、また明日。また明日。・・・・20年後・・・・。鉄板の上を歩いているような灼熱の太陽が照りつける日も。

凍てつく空気に 手先の感覚がなくなる日も。大粒の雨がアスファルトを強く叩きつける日も。暑い日にクーラーも無い。寒い日に暖房も無い。雨風を凌ぐ屋根もない。毎日、毎日、同じ作業服を来て、朝早くから深夜遅くまで、劣悪な環境下で誘導灯を前後左右に振り続ける日々。意識があるようでここにない。フト我に返った瞬間、黒い塊が横切った。跳ねた水溜りが宙を舞うのが見えたが遅かった・・・。

「うわっ、ばっちっクッソ、ふざけんなよ!!」メルセデス・ベンツは、自分と同年代の初老の男が運転していた。助手席のオンナと談笑していたようで。道端の石ころの如く。まるで、最初からそこに何も無かったかのように、こちらに気づきもしない。小さくなって行くテールランプを思いっきり力を込めて睨み続けることしかできない。

頬をつたうのは、跳ねた泥水なのか?それとも・・・。見あげれば青空が天井代わりになっているところから名付けられたブルーなお仕事。60代でありつけるお仕事は想像以上に老いた肉体を酷使するものばかりだった。しかし、生きるための糧を得るために働かなくてはならない。他の誰も、自分のことを助けてくれる人はいないのだから。

等価交換の法則

人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。何かを得るためにはそれと同等の代価が必要になる。「等価交換の法則」やりたいことだけをして。するべきことを後回しにし続け。嫌なことから逃げ続け。サボり続けた。そんな「キリギリス」な人生の晩年には、誰も欲しがらない大きなゴミがまとめてドサってやって来る。自分がそんなモノは欲しくないと思っても、必ずゴミばかりをまとめて引き受けることになる。誰も望まぬ人生を、自分が送ることになるのも何の不思議もない。

「アリさん」たちが先にすべきことを全部やり終えて。早期に大きな「成功=シアワセ」を手に入れて、勝ち抜けしてしまう。一抜け。二抜け。年甲斐もなく馬力のある高級車を乗り回したり。軽井沢の別荘に、お孫さんを連れて遊びに行ったり。高級百貨店で外商スタッフに丁重に案内されながら、孫の誕生日に贈るプレゼントを真剣に悩んでいたり。やりたいことをトコトン謳歌している人生を送れるのもまた必然である。

早期の内に、サボっている人たちを横目に。したいことを我慢して。その時しなければならないことに真剣に向かい合い、逃げずに、サボらずに、一生懸命取り組み続けたのだから。その後は、どんな人生を送ろうとも、誰に文句をつけられる筋合いは無いのである。「等価交換の法則」。良いか悪いかのお話ではなく。それが人生。そういう意味では、僕たちの生きる資本主義で民主主義な世の中は極めて平等とも言える。「成功=シアワセ」を掴む人生か?ゴミまみれになる人生か?結局はみんながみんな自分の意思で選んで決めているのだから。他の誰のせいにすることもできないのだ。

共に歩んでくれる仲間を真剣に探す

このままでは、遠くないミライに、ゴミまみれの晩年を迎えることになる。まだ、心身の堅牢性が保たれている今のうちに、真剣にビジネスの取り組みを開始。ゼロイチになって、稼げるようになれないとヤバいって分かっているのに。一人でパソコンを立ち上げても、なかなかやる気が沸き起こらない場合どうすれば良いのか?その解決策は・・・。今のままでは、一人ぼっちでビジネスに取り組んでも、なかなか継続できない。これから先も、何ヶ月、何年同じように忙しい、疲れた、やる気が・・・100万通りの言い訳しか出てこないまま、年月ばかりが経過して行くことになる。

世の中も社会も、自分を中心に回ってくれているわけではないし。席の数は無限に存在するわけでもない。今こうしている間にも、起業する機会は先に始めた他の誰かにドンドン奪われて行っているのだから。そうこうしている内に、起業する機会を完全に失ってしまうことも必然。この場合、一度、根本的にやり方を変えて見ることが求められる。まず最優先することは、リアル世界で一緒に肩を並べてパチパチとできる。仲間たちを、1人、2人・・・と見つけて、プチコミュニティ化する。

僕はこれを、「黙々会」と名付けているが。意思が弱かったり、集中できなかったり、一人じゃなかなかやる気が沸き起こらない・・・という場合。人と人とが互いに支え合う。仲間たちと支え合いながら、励まし合いながら、パソコンに向かってパチパチする・・・。もう、この方法しか残されていない。これでも、まだサボる、逃げる、先延ばしにする。するべきことを優先させて真剣に取り組むことができないのだとしたら。もう誰が何の手助けができるのだと言うのだろうか?

自営業者としては、100%以上やっていけない。「自営」なのだから、自分で自分を管理して、お仕事を営めない場合は、「自営」できないのだ。今変われない人、やれない人が、老衰して行く中で変われるわけも無いと思う。今よりも気力も体力も無くなった後で、今よりも強いやる気が沸き起こるなんて摩訶不思議なことが果たして起こるのだろうか?しかしその場合、自分にどんなミライが待ち受けているのか?本来、みなまで言わなくても誰しもが分かっていることなのだ。

自分の人生は自分しか変えられない

「どうすれば、共に歩んでくれる仲間を見つけられますか?」何も行動することなしに、勝手に仲間が出現してくれる。「仲間になりたそうに こちらを見ている」なんて都合の良いことは起こるわけが無い。共に支え合い、歩んでくれる仲間を見つけるべく。考え行動しなければ、絶対に自分を取り巻く環境は変ることは無い。候補となる方々が集まる機会に積極的に赴く。頭を下げるべき時は素直に下げる。歩み寄る必要がある時はしっかりと一歩足を前に出す。

LINEのQRコードで友だちになる。自分から能動的に行動することが求められる。例えば、6月24日(金)の19時〜22時まで、「ケイタ式メンバー合宿」が東京大田区の某所宿泊施設で行われるが。こうした機会には、意識の高い仲間たちが、リアル世界に集うことになるので。リアル世界で繋がれる仲間を得るまたとないチャンスでもある。

こうしたオフの集合機会には積極的に足を運び。黙って座っていないで、笑顔で目を見て挨拶することで、自分をアピールすることを習慣づけることも大切。「もし今度お時間あれば、一緒にカフェとかで、「黙々会」しませんか?どうも一人だとなかなか進まなくて・・・。」ハッキリと口に出して、お願いする。もう大人なのですから、これくらいのことができなければ。何も人生は変わらない。もう後がないのだから、今更「恥ずかしくて・・・」なんて言っている余裕も無いはずだ。

今日できないことは、明日もできない。気がついたら詰んでしまっていた・・・なんてことにならないように。後で絶対に後悔しないように。今できることは、トコトンやっておく。自分の人生は、自分しか変えられないのだから。