「時間、場所、お金」の拘束からの自由を手に入れるために

  • 2022.10.27
  • 2022.10.27

目標「三大自由」の獲得

「三大自由」

  • 時間の自由
  • 場所の自由
  • お金の自由

かつての僕は、この3つの自由の獲得することを、目標として掲げて取り組んで来た。その結果、30代前半という、同年代の方々と比べると比較的早期の内に、「三大自由」を手に入れることができた。

おかげさまで、「コロナ禍」以前は、毎月世界各国、様々な国と地域に赴いていたし。「コロナ禍」以降も、南国マレーシアとハワイに特化する形であるが、海外の自分の好きな国と地域で「遊ぶように暮らす」ことができるようになった。「時間の自由」完全に労働から開放されているわけではなく。毎日パソコンに向かって、パチパチするための時間はあるのだけれども。何時〜何時に仕事をしなければならないか?自分で決められる。

サラリーマン時代と比較すると、圧倒的な時間の自由がある。「場所の自由」サラリーマン時代であれば、出張の時以外は、毎日朝早くに自宅を出発して、勤務している会社に赴くことが義務化されていたので、「場所の自由」はなかったのだけれども。今ではどこか決まった場所に出勤することはなく、僕がどこの国と地域にいようとも問題無いし。パソコン一台を手に、おしゃれカフェに赴いても、そこが臨時オフィスになる状態。

「お金の自由」米ドルを中心とした、現金を持ち続けながらも、不動産資産という形ある物件を複数確保済。さらには、毎年の収入も、エリートサラリーマンを上回る状態。ビジネスからの収入、株式からの収入、不動産からの家賃収入。「お金持ち」とは言えるレベルではないかもしれないけれど、妻、2人の娘たち家族を養いながらも、毎月数百万分位なら、レアリティの高い「お宝もモノ」を顔色変えずに購入し続けられる状態。

最近は趣味で食費の節約をしているけれども、別に普通のレストランで食べれないわけでもない。こうした「三大自由」を、手に入れ続けている状態が、約12年間継続。まだまだ、それぞれのクオリティを高める必要があり、それに向けて活動をしているのだけれども。10年以上継続している事実はあるのだから。それなりに「自由」を語れる立場にあるのではと思う。

「百貨店」助勤で知った「経営者・投資家」

22歳を迎えて大学を卒業。社会に出ると同時に、企業に勤める正社員のサラリーマンとしての活動が始まった。高校3年間は、とにかくアメフト三昧。そして、大学もスポーツ推薦で進学してしまったので、結局4年間ずっと、アメフト三昧。学校通学をサボっていたわけでもないのに、課外時間、土日・祝日も部活で占拠されてしまう。

ようやく部活を引退して大学卒業旅行でハワイに行った後。今度は社会人としての活動がスタートした。平日は会社勤務、土日・祝日は売り場巡回や、店舗での販売応援。特に日本の本社で働いていた新卒入社からの4年間は、まともな休日というものが、皆無だった。振り返れば、物心ついた時から、完全に自由な状態で、何か自分の自由意志に基づいた、活動をしている時間が無かったことになる。

「お金の自由」が無かったのは当然のこと。何よりも、「時間の自由」と「場所の自由」がなく。毎日常に、決まった時間、決まった場所に、赴き続けていた。学生時代は、「アメフト三昧」と言っても冷静に考えてみれば、自分で選んだ部活だし、辞めようと思えば辞められたはずなのだが。それが当たり前だとして特に何も考えていなかった。

けれども、僕が「自由」を切望しはじめたのは、社会に出てからだ。僕は毎日、スーツに身をまとい、真面目に仕事をし続けているのに。チラッ、チラッと右左を見てみると。何やら日中まともに働いていないのに、リッチそうであり、自由奔放そうな様子の方々がいる。

特に、日本勤務時代では伊勢丹本店、新宿高島屋、池袋西武、池袋東武、横浜そごう、横浜高島屋・・・などの、都内近郊の大型百貨店に「助勤」という形で、販売応援したり、イベントスペースでイベントをしたりすることが頻繁にあったのだが。接客をしている中でも、サラリーマンである僕とは、風貌の方々がゾロゾロといる。

僕のように毎日労働していないのに、かなりリッチそうな様子で・・・。平日日中に、ブランド品をまとい沢山お買い物袋を持って、高級車に乗り込んでいく。「あれ?彼らは何者なんだ?」こうした疑問を持ち始めたのである。接客を通した対話でお伺いすると、自営でビジネスを営んでいたり、投資の活動で、収益を得ていたり。頻繁に海外にも赴いているようだ。そこで僕は、世の中にはサラリーマンや公務員とは異なる人種。「経営者」「投資家」という存在をリアルに認識することになる。

拘束され続けながらも「リストラ」の顛末

サラリーマン時代、営業&マーケティング職というのが、僕のメインの業務になって来たが。お客様として、対応する相手には、中小企業の会社経営者という方々もいる。日常業務自体は、担当スタッフとのやり取りが中心になるが。合間合間に、「社長」と呼ばれる彼らとやり取りすることもある。現場の担当者たちとはことなり、皆さん共通して、僕たちと全く違う人種に見えた。

何が異なるのかと言うと、「明らかに自由そう」なのだ。そんな時に、自分が勤務している会社の中に目を向ければ、銀行から来た方が社長に就任。社内を改革する一貫で、大漁のリストラを行う。長年、残業に休日出勤、一生懸命働いて来られた諸先輩方が次から次へと消えていってしまった。恐ろしいことだと思った。サラリーマンというのは、何年間、何十年間にも渡り、時間も場所も完全に拘束され続けている状態にも関わらず。自分と家族の生活の糧である、収入までもが握られてしまっている。

右を向いても、左を向いても、拘束されつづけたがんじがらめの状態。それでいながら、こうしてある日突然の「リストラ」によって、それまでの関係性が何もなかったかのように、ある日突然、会社から追い出されてしまうのだ。リストラされた僕の上司Kさんには、子どもが3人いて、郊外に住宅ローン35年で購入した戸建てマイホームまである。

そうした家庭環境などはお構いなし。会社の基準は、会社にとって必要な人材か?そうでない人材か?こういう状況に、自分の身を置き続けること自体が、危険。人生において、大きなリスクであると思い。そして、僕は決意をした。「静かなる下剋上」引き続きサラリーマンとして働き続けながらも、水面下で密かに自分でビジネスを起ち上げ、軌道に乗せる。目標として目指すところは、リストラ対象になるかもしれない、10年後までに、

  • 時間の自由
  • 場所の自由
  • お金の自由

を手に入れて、自分と家族の身を守りながらも、何からも拘束されない、自由奔放な人生を歩むためだ!

パソコン一台で稼げると手に入る「自由」

今振り返ると、僕は幸運に恵まれていた。1つ目の幸運は、サラリーマンとして、新卒から業務の中に行い続けていたのが、「営業&マーケティング」だったからだ。リアルの世界でも、モノ・サービス・情報、すぐに売ることができた。2つ目の幸運は、2004年〜ビジネスの舞台を完全にインターネットに切り替えたことだ。

当時は、インターネットが急速に普及していたこともあり。インターネット上で、モノ・サービス・情報何を販売しても売れに売れまくった。既に海外駐在員として、香港を生活拠点に、アジア各国を出張し続けるライフスタイルになっていたが。インターネットビジネスの場合、自分が直接現場に赴かなくとも、副業用のパソコン一台起動させるだけで、どこの国にいても、何時に取り組んでも。自分で起ち上げたビジネスで、売上・利益を上げることができる。一度仕込むことができると、自分がサラリーマンとして勤務している間も、売上・利益が上がり続けていたりもするわけだ。

サラリーマンとしても、サボっているわけではなく、歴代レコードの記録を叩き出し続けながらも。副業として起ち上げたインターネットビジネスで、サラリーマンからの給与所得以上に稼ぎ続けることができる。こうして僕は、サラリーマンとして働き続けながらも、・時間の自由・場所の自由・お金の自由を実現するための土台の構築に成功し。そして、2010年末を持って約12年間勤務した会社を退社。

2011年1月に、南国マレーシアにリタイアメントビザを取得して家族と一緒に移住。以降、「三大自由」を謳歌できる今のライフスタイルを手に入れたのである。こうして僕自身の過去を振り返り、総じて考えると、まず最初のステップとして、「パソコン一台で稼げる状態」を構築できるかどうか?ここが、「三大自由」を手に入れるための「要」になってくる部分だと思う。

もしも今、時間、場所、お金の部分で、拘束されたがんじがらめの状態だとしたら。その状態から脱却すべく。時間と場所関係なく、パソコン一台でどう稼ぐことができるのか?真剣に向かい合い考えるべきだと思う。時間、場所、お金の拘束からの自由を手に入れるために。取り組む意味と価値のあることだと思う。