この「自己PR」のどこがおかしいか?根拠と共に分かりますか?

  • 2022.06.05
  • 2022.06.05

「私はかねてから憧れ、第一志望としていた、日東駒専大学の合格を通して、狙った成功を勝ち取る経験をしました。商学部でマーケティングを専攻し学んで来たので、マーケティングが得意です。真剣に勉強に取組んで来た経験を元に、御社で活躍したいと思います!」・・・もしも就職活動の面接で、このように自己PRして来る学生がいたら、もしもあなたが東証一部上場企業の採用面接官として対面した場合、どのように感じるでしょうか?

おそらく、「え?」一瞬頭が混乱して、フリーズすると共に。その後、この学生の言うことをまともに聴く気にはなれない。適当に会話して流しながら、次の学生に切り替えることになるでしょう。すなわち、「不採用」が決定することになるわけです。感じ方というものは、相対的なものであり、人それぞれなはずであり。学歴や特技というものは、各々の基準に沿って語っても良いはずなのですが。残念ながら現実は異なります。

東証一部上場企業の採用面接官が100人いたら100人共通して同じことを思うでしょう。しかし採用試験の現場では、これと似たようなことを語ってしまう学生が少なくありません。こうして、22歳を迎えて社会に出た瞬間から、高年収への道をイキナリ閉ざされてしまう方々が沢山いるのです。期間中に、考え方を変えられない限り、全ての企業で落ちることは間違いありません。上場企業のサラリーマンの道がダメだったからと、早期に起業の世界に足を踏み入れたとしても、この考え方のままでは絶対にうまく行かないことだけは分かります。

22歳を迎えて社会に出た後、子どもたちが自らの意思で能動的に、価値あるモノ・コトを見極め、自力で取れるようになってもらいたい。継続的に、取り続けられるようになってもらいたい。・・・という願いとは、全く異なる状態になってしまったことを意味します。22歳を迎えて社会に出た直後からイキナリ詰んでしまう。価値あるモノ・コトを見極められず、自力で何も取れない状態。これが、我が子の話になってしまったらと思うと。子どもを持つ両親としては、ゾッとしないでしょうか?

社会で求められるのは学歴だけではない

このケースの場合、日東駒専大学が悪いと言っているわけではありません。日東駒専大学は、学歴フィルターとしては、かなり微妙なラインにいることは確かですが。エントリーシート選考段階で落選したわけではなく、その後に行われる面接までは進めたので。この会社の場合は、日東駒専大学は、学歴フィルターとして落とすライン引きではなかったのでしょう。しかし、面接を通した受け答えの中で、「自己PR」を通してメチャクチャな考え方を披露してしまったわけなのです。採用面接官が共通して思うことは。

  • 一体どうして、第一志望が日東駒専大学なの?
  • 日東駒専大学で狙った成功?
  • 日東駒専大学レベルで授業でマーケティングを学んだからマーケティングが得意?
  • 真剣に勉強に取組んで来た?


結論:違和感があるので即不採用!

根拠は明確に言語化できないにしても、採用面接官100人いたら100人共通して違和感として感じることは確かです。沢山学生さんはいるので疑わしくは不採用!この学生を採用してしまう東証一部上場企業は皆無です。わざわざ、この学生を採用する意味と価値はありません。昭和の高度成長時代なら、日本の企業という企業が右肩上がりのイケイケモード。採用の需要に対して供給が圧倒的に足りない状態。「人手が足りない・・・」ということで。このような学生を採用する企業もあったかもしれませんが。今日時点では、人気の東証一部上場ともなれば、僅かな採用枠に対して、圧倒的多数の学生が群をなして押し寄せる。

毎年数万単位でエントリーシートが送られて来るわけなのですし。わざわざおかしな考え方を持った学生を採用する意味と価値が無いわけです。会社では全く使い物にならないダメ社員になることだけは分かってしまっているのですから。ちなみに、分かりやすく、日東駒専大学を挙げましたが。これが、仮にもっと上のレベルの大学出身者でも同じです。東大生だからと言って、このような考え方で東証一部上場企業の採用試験に臨めば必ず落ちます。

唯一例外的な採用内定があるとすれば、社員として席に座ってくれいるだけで会社にとって多大なる収益をもたらせ得る普通では無い両親のコネ・・・がある場合でしょうか?仮に僕たちの子どもたちが、このような考え方を持ったまま、22歳を迎えてしまったとしたら、「子どもの敎育」としては、「250分の1」基準において失敗ということになります。

「自己PR」に違和感を感じましたか?

「子どもの敎育」に取り組む両親が、「え?この自己PRのどこがおかしいの?」・・・と瞬時に分からなかった場合、この場合、そもそも論で両親の考え方に問題があります。この「自己PR」に、何も「違和感」を覚えることすらなかったとしたら。もっと言えば、なぜ「違和感」を感じたのか?一体どうして、こういう状態になってしまったのか?明確な根拠が理解できていなかったとしたら。0歳〜18歳の「子どもの敎育」に取り組んだ時にも、その考え方が家族の常識として定着していることになりますので、子どもたちは間違いなくその考え方を真似して育つことになり、12歳を迎え、18歳を迎え、22歳を迎えて社会に出ることになります。

その後は、親元を完全に離れて独り立ちするケースがほとんどでしょうし。この手の考え方の問題は、社会に出た後は、第三者は誰も指摘してはくれません。現代の会社組織では、考え方部分への指摘は、「モラハラ」にもなりますからね。だから、両親がこのような考え方を常識としたまま、途中で考え方を変えられないまま、0歳〜18歳の「子どもの敎育」に取組んでしまったとしたら・・・。

いかなる習い事を習わせようが、いかなる学習塾・予備校に通わせようが、子どもたちがどの水準の学歴を目指して取ろうが、「250分の1」基準においては、取り組む前から既に「失敗」が確定してしまうと言っても過言ではありません。考え方が至らない状態で、いかなる活動に取組んだとしても、絶対に素晴らしい状態にはなれない。これが「子どもの敎育」の難しさでもあります。

「250分の1」の基準「社会で活躍」

「250分の1」の基準における「社会で活躍」とは?数字は社会人としての十分なライフスタイルの選択肢が持ち得る「年収2,000万」(就労人口の0.4%=250分の1)から来ています。今回は、東証一部上場企業への就職を例として挙げましたが。決して、エリートサラリーマンの道だけが達成手段ではありません。僕のように、最初に東証一部上場企業に就職してから、途中で起業・独立する方もいる。就職せずに、イキナリ起業・独立する方もいる。両親が営む事業を継いで営む人もいる。

結婚して、配偶者に頑張ってもらう人もいる。投資家として株や不動産投資をする人もいる。様々な選択肢がありますが。しかし、どの経路を採用しようとしても、考え方がその基準に達していなければ、どんなことに取組んでも必ず「失敗」します。つまり、年収基準で「就労人口の250分の1」に自力で狙って到達することはできません。全く同じ習い事に取組んでも、何も結果を出せずに終わる人と、素晴らしい結果を出せる人がいるように。

就労・出世・昇進・結婚起業・独立・経営・投資・・・何をやっても考え方がダメだと失敗に至ります。つまり、その考え方の通りの低い年収に落ち着いてしまう現実があります。この場合、たちなおり、再び「250分の1」を目指すのであれば。考え方がダメダメな状態から、「250分の1」のものに、完全に書き換える必要があるのです。

しかし、子どもたちが、自分が主人公として、考え方を変えて目指したい!と真剣に思えなければ。どんな敎育を促そうとしてもムダです。本来僕たち人間の成長は、自分が変わりたいと真剣に思えるのであれば、何歳になっても遅くは無い・・・と言えるのですが。子どもたちが自力で変わってくれるのを、天に祈りを捧げて願うしか無い。つまり、「手遅れだった・・・」ということがほぼほぼ確定してしまうのです。

考え方は自分では問題点が分からない

「私の考え方の どこがおかしいのか?」難しいところは、考え方=自分にとっての常識ですので。一人部屋に籠もって何十時間考えたとしても、自分では問題点そのものが分からないところです。また、既に「250分の1」で活躍している方の考え方を模倣しようとしても。一体どの部分を採用して、どういう手順で考え方が変えて行けるのか?その方法もなかなか自分で見分けられるものではありません。こうして、「三つ子の魂百まで」と言われるように、両親もずっと、子ども時代に培った考え方のまま。

そのまた子どもも、両親から受け継がれた考え方のまま。どれだけ年月が経とうとも何も変わるものは無く。その状態のまま、習い事、部活、自由研究、小学受験、中学受験、高校受験、大学受験、就活、出世昇進、起業・独立、経営・投資結婚・・・と様々なことに挑戦したとしても。常にその考え方の延長上で取れるものしか取ることができない。「250分の1」の基準における「成功=シアワセ」を勝ち取ることはできないまま、終焉を迎えるのです。

中には大きな成功を成し遂げる子孫も現れるかもしれませんが。それは偶然のラッキーによるものしかなく、年月の経過と共に、または、代が移る時に、再び元の考え方基準の位置に戻ってしまう。こうした継承サイクルが続いていくことが分かります。これが、「金持ち三代で潰れる」と言われているわけです。

だからこそ、第三者視点で、クリティカルに指摘くださる、メンターが必要になります。しかも、「250分の1」基準の考え方を元にメンタリングくださるメンターのものを。両親の考え方を書き換える。子どもたちの考え方へと継承される。その上で、社会から完全に逆算された、家族チームごとの「設計図」を元に、教育活動に取り組む。これが最短かつ着実に子どもたちの「成功=シアワセ」の状態へと導くロードマップであると理解できます。

追伸・・・
子どもたちに真剣に高みを目指してもらう思いや願いを秘め持つ0歳〜12歳の子どもを持つ両親限定の特別な回です。僕たちのメンターである、大富豪一族マスターヒロさんとの、「250分の1」基準の直接メンタリングを通して、両親の考え方を書き換える。子どもたちの考え方へと継承される。「プラチナ設計プラン」を構築する活動の説明会を兼ねたセミナーを開催します。
開催日時 :6月8日(水)21時~23時 or 6月12日(日)16時~18時
参加費:無料
https://kitasociety.com/220608-oneteam/