人生が変わる好機を手に入れた「家族チーム」の物語

  • 2022.08.30
  • 2022.08.30

0歳〜18歳の英才教育コミュニティ『ワンチーム』に参加されている両親のもとに生まれ育つ子どもたちは、シアワセだと思います。なぜなら、取り組み開始地点の家族チームの状態がどんな状態であれ。最低限、正しい「育児・教育」の方法を知った後には、子どもたちの「成功=シアワセ」を願って一生懸命学んで取り組んでいるからです。

世の中、子どもは放っておけば勝手に育つと考えている両親も多いわけです。子どものことに、全くの無関心だったり。放ったらかしの状態だったり。世の中には、子どもたちを放置して、パチンコに勤しむ両親なども存在しているわけです。何のために結婚して、子どもを授かったのか?そんなに育児・教育が嫌なら、そもそも結婚・出産するべきでは無かったのでは?と思われる、言動に走り続ける両親も沢山いるわけなのです。

こうした、「自由」と「無関心」や「放置」を履き違えて捉えている両親たちは、「自由」と言う名の、「虐待」をしていることを認識しなければならないと思います。そうした両親が多い中、お仕事からの帰宅後、家事終了後、眠たい目をこすりながら。子どもたちの将来の「成功=シアワセ」のために。一生懸命に学んだり、考えたり、行動してり。そうした姿勢で、子どもの育児・教育にまつわることを真剣に学んでいるのですから。その一生懸命さは、必ず子どもたちに伝わると思います。

最低限、両親が育児・教育に一生懸命でなければ、勉強・部活・習い事・・・何事にも一生懸命な子どもが育つわけがありません。無関心な両親の影響を受けて、子どもたちも何事にも無関心な大人に成長しますし。放ったらかしな両親の影響を受けて、子どもたちも何事も放ったらかしにしようとする大人に成長します。両親が子どもたちの育児・教育に取り組む姿勢は、必ず子どもたちに継承してしまうのです。

けれども、「ワンチーム」のコミュニティに参加されている両親は。大富豪一族マスターヒロさんの訓えに基づいた、子どもの「育児・教育」方法を知った瞬間に。過去の自分たちが子どもたちにして来てしまったことを反省しながらも、気持ちを切り替えて、子どもたちの「成功=シアワセ」のために。真剣に取り組みを開始しているのです。こうしたコミュニティに身を置き語り合うことで。間違いなく、「成功=シアワセ」の連鎖を体感しているわけです。

「枝葉」は違っても「根幹」は同じ

『ワンチーム』のコミュニティの中で語られている「成功=シアワセ」の形は。家族チームそれぞれの価値観に基づくものであり。どの家族チームが、どんな「成功=シアワセ」の輪郭を描きなぞるのか?家族チームによって、異なります。どこの国・地域に生活拠点を構えているのか?両親の学歴はどうだったのか?両親の職歴はどうだったのか?両親の年収は?これら全て同じにはなりません。

両親がこれまで歩んできた道も、みんなそれぞれ異なります。子どもたちの年齢も、性格も、学歴も、習い事も、部活動もそれぞれであり。しかし、こうしたこれまでのこれまで歩んだ「過去」の部分は問われませんし。これから先も、地方に住むのか?都会に住むのか?海外に住むのか?子どもたちが、どんな学歴を歩み、どんな社会人になって活躍するのか?目標も、全員違うのです。

都会に住まなければならない。子どもたちの学歴は、こうでなくてはならない。というような、画一的な強要・強制は、一切ありません。そもそも論で、親子共に、第三者から、強要・強制されて、上手く行くことは、何一つとして無いのですから。こうした相違は、全て枝葉のお話でありますので、どんな葉や花を実らせたいのか?それぞれの家族チームの価値観が尊重されるのです。

けれども、根幹に当たる部分には、共通するものがあります。それぞれの家族が、青々とした葉をつけたり、華やかな花を咲かせたりして行く過程で。強く丈夫な根幹を育んで行く。たとえ「木」そのものの種類が異なったとしても。木々の根幹が、地中・水中・空中に伸びている植物としての大切な器官であり、水分や養分を吸収したり、植物の身体を支えたりする木が木であり続けるために大切な役割を担っている部分では全ての木々が同じであるように。

それぞれの家族チームが子どもたちにそれぞれの道で活躍してもらうために根幹として必要不可欠な部分には必ず押さえておくべき大切な共通項があります。それぞれの家族チームが望む「成功=シアワセ」の形はそれぞれなので。一見すると、多岐にわたることをバラバラで語っているように見えるかもしれませんが。根幹部分は全く同じなのですから。

アリとキリギリス

それぞれの家族チームの思い描く「成功=シアワセ」の形が異なっていたとしても。共通する根幹部分は全て同じ。その大切な要素の一つに、「両親の一生懸命さ」というものが挙げられます。他にも色々とあるのですが。大前提として、この部分が欠如してしまっていると、何もスタートすることができません。童話『アリとキリギリス』のアリさんとキリギリスさんをイメージしてもらうと分かりやすいですが。

例えば、両親がキリギリスな状態であり。寝っ転がってサボっていたり、妥協怠惰の繰り返しで、自分のお仕事のこともいい加減、子どもたちの教育も放ったらかし。「キリギリス」な状態のままで。子どもたちにだけ、「一生懸命アリのように働きなさい!トコトン頑張りなさい!」」と声を大にして叫んだところで。「キリギリス」の子は、「キリギリス」にしかなりません。

「両親は何事に対してもキリギリスな状態」なのに、子どもたちだけ勝手にアリになってくれる」などということは、絶対に起こり得ないのです。両親がキリギリスな状態であれば子どもたちもキリギリスになります。両親がアリのように先々の準備のために一生懸命取り組んでいてはじめてアリを育てられるのです。つまり、現時点で両親がキリギリスであれば、まずは両親がアリになろうとして、実際にアリになる。そこでようやく、子どもたちをアリに育てることができるようになる必要部分の一つが揃うのです。

そういう部分を加味して見てみると。「ワンチーム」に集う両親たちは、今日時点ではまだキリギリスなのか?アリになれているのか?過去から現在に至るまでの状況は家族チームによってまちまちな部分はありますが。最低限、コミュニティに参加されている両親たちは全員。子どもたちのミライの「成功=シアワセ」を考えると。キリギリスな状態では、社会に出てからすぐに詰んでしまうアリになってもらわなければ・・・。

しかし、子どもたちに、アリになることを望むのであれば、まずは子どもたちよりも先に両親である自分自身がキリギリスな状態から脱却して、アリにならなければ・・・。アリになるにはどうしたら良いですか?この考えに至ったことで、コミュニティ内で共有される情報を頼りに学んでいる。そして、学んだことを元に変わろうと行動に移しているのです。

変わる好機を手に入れた家族チームの物語

世の中の大多数の家族チームは。これから先も、親子ともに状況が好転する機会に巡り合うことは中々難しいでしょう。それこそ、子どもたちが将来、恩師と言えるような素晴らしい人と超偶然のラッキーで巡り合いそれがキッカケで変わってくれた・・・。などという、夢物語のようなことを祈り続けるしかできないでしょう。

しかし、そうした偶然のラッキーさえも、「アリ的な生き方はやっぱり面倒くさい。ボクはキリギリスのままでいいや!」と、結局は放棄してしまう状態に陥ることも容易に想定できます。結局は、両親がどういう考え方で、人生を歩んできたのか?これは、子どもたちの将来にも大きな影響を与えてしまうのです。だからこそ、子どもたちの将来の「成功=シアワセ」な人生を願うのであれば。まずは子どもたちよりも先に、両親が変わったり、高めて成長したりすること。ご神仏に向かって祈るより、確実に望む方向に歩めます。

しかし、子どもたちに「成功=シアワセ」になってもらうため。両親が変わろうと思えると非常に大きなチャンスが生まれます。なぜなら、そういうキッカケがなければ、大人になってから変われる機会など、そうそう訪れないからです。「三つ子の魂百まで」と言われるように。大多数の方々は、子供時代に育んだ「考え方」のもと、大人になり、年を取り、人生の終焉を迎えることになるのです。けれども、子どもの将来のために、まずは両親である自分が変わらなければ・・・。自分を高めて成長しなければ・・・。と真剣に考えて取り組める方々は。人生の中ではじめて、変われるチャンスを手に入れられます。

子どもたちの成長と共に、両親である自分自身も変われる。子どもたちのお陰で、自分も大人として、両親として「成功=シアワセ」を掴み取れる最後の機会。それまで歩んできた人生とは、全く別の新しい人生を手に入れるチャンスが到来しているのです。両親が「成功=シアワセ」になることで。子どもたちも「成功=シアワセ」になれる。親子「WIN-WIN」の状態が生まれる。こうした好機は、両親が変わろうとしなければ、親子共に訪れませんので。コミュニティ『ワンチーム』に参加された両親を持つ子どもたちは、シアワセだなと改めて思うのです。