危険「放任主義=放ったらかし」で臨むと大変なことになる!

  • 2022.09.20
  • 2022.09.20

「我が家は「放任主義」なんです!」

子どもたちの人生は、子どもたちが決めることだから・・・。「我が家は「放任主義」なんです!」「放任主義」を両親にとって都合よく解釈をしてしまい。子どもたちを単なる「放ったらかし」状態にしてしまうと、取り返しのつかないことになってしまいます。子どもたちが将来、何に取り組むにしても、やる気は沸き起こらないし、真剣になれない・・・。

競争が発生する所に身を置いたり、すぐに逃げ出してしまう。嫌いで苦手なことがあれば、必ず退散してしまう。精神的疾患を抱えて不登校になったり部屋の中に籠もったり・・・。社会や世の中の最低限のルールも守れなくなる。「放ったらかし」な教育方針の末路は、子どもたちが非常に高い確率で、このような状態に陥ってしまうことです。

これでは、子どもたちが22歳を迎えて社会に出た後。いったいどんな分野で活躍できるようになれると言うのでしょうか?サラリーマンとしてもダメ。サラリーマンから逃げて、自営業者として取り組もうとしてもダメ。どんな競争にも、何も勝てないので、自ずと低年収に甘んじ続けることしかできない。既に大人になる前から、結果が決まっていると言っても過言ではありません。

「放ったらかし状態」には、子どもたちにとって「目先の楽」以外のメリットはありません。結果的に、大人になってから、誰も欲しがらない大きなゴミを背負い続けることになることは、年月の経過を待つ前に目に見えてしまっているのです。どの家庭が、どんな教育方針を採用しているのか?これは自由ではありますが。どういう教育を行うと、どんな結果になるのか?既に見えてしまうものがある。この部分には、残念ながら「我が子だけは特別に・・・」という形にはなかなかなりません。

子どもたちは、両親が採用した教育方針の通りに育ち、大人になり、そして社会に出ることになります。どんな教育方針を採用するのも、それぞれ「家族チーム」の自由ではありますが。その行く末に子どもたちがどうなるのか?後から絶望的な後悔をしないためにも、この部分は先に知っておく必要があると思います。

人生の中で最上位に挙げられる「幸運」

お互いに、これまで生きてきた人生の中で、ラッキーなこと。アンラッキーなこと。振り返れば、本当に色々なことがあったと思います。僕も46オーバーにもなると。過去に、あのギリギリのタイミングで、気づくことができたお陰で、最悪のケースを回避しながらも、素晴らしい結果が手に入った・・・とか。幸運とも言うべき、偶然のラッキー的なことを何度も経験してきましたが。その中でも、最も「超ラッキー」だったと挙げられるのは。「放任主義=放ったらかし」がどれだけヤバいことなのか・・・。子どもたちが大人になる前のギリギリのタイミングで。その確かな根拠と共に知ることができたことだと挙げられます。

僕自身の就職が上手く言った・・・。自営業のビジネスでお金が稼げるようになった・・・。というような、お金も儲けてラッキー系のお話とは、比較にすることもできず。むしろ、「本当に危なかった・・・。」何度振り返っても、仮に知らなかった状態の今を想像しただけで。恐ろしくてゾッとしてしまいます。

子どもたちが、やる気のない状態で寝っ転がってYou Tubeを視聴したり。引きこもりになって部屋から出てこなかったり。そんな状態に陥ってしまったもう一つのミライがあったのかもしれないのですから・・・(汗)。

仮に子どもたちが今そんな状態だったとしたら。いくら僕自身がお金を沢山稼ごうとも。豪華絢爛なマイホームに住もうとも。高級時計のロレックスを腕に光らせて、全身希少性の高いHERMESの服で身を固めようとも。世界各国をまたにかけて旅に出かけようとも。全てが「張子の虎」。肝心要のところが全て空っぽの状態で。両親だけキラキラ輝こうとしていることが、バブル崩壊前の銀座のネオン街のような、現実を逃避して虚しく燥いでいるようにしかならなかったはずなのです。

本当の意味での「成功=シアワセ」を知ること無く、人生の終焉を迎えていたところだったと思うと。今、子どもたちが頑張ってくれている状態になっていることに嬉しいと感じながらも。その恐怖感が勝ってしまうのが正直なところです。

真剣に取り組むにはあまりにも短すぎる期間

「そのままだと大変なことになるよ・・・。」あの時、メンターであるマスターヒロさんから。「子どもを修羅へと育む教育方法のひみつ」を教わっていなかったとしたら・・・。今の僕たち「家族チーム」の状態は無かったわけです。僕たち家族の場合は、まさに「放任主義」を掲げてしまっていたので。仮にその方針を今なお踏襲してしまっていたら。どれだけ年月が経過しようとも、子どもたちが変わる。自分たちを高めて成長してくれる・・・などということは、絶対に起こり得なかったわけです。

両親である僕たちが、自分たちの過ちを直ちに認め。「子どもたちの成功=シアワセのためなら何でもやります!」という意気込みの元。マスターヒロさんから教わった「教育方法」に基づき。真剣に取り組むことができたお陰で。

当時長女15歳、次女13歳、子どもの教育としては、かなり遅いスタートではありましたが。「ベストな状態」とは言えなくても、なんとか形にすることができた。子どもたちが、自らの意思で競争に立ち向かい、そして結果を勝ち取ってくれる。「競争力」のある状態へと短期間で進化成長を遂げることができたわけです。

もしもあの時、「我が家の教育方針は 放任主義だから・・・」「臭いものに蓋」的な形で、両親である僕たち夫婦が目耳を塞いでしまっていたら。子どもたちのミライは、絶対に変わることは無かったわけです。この現象を、現実として体感してしまった僕としては。子どもたちの人生は、子どもたちが決めることだから・・・。と、これまで歩んできた延長上で、ただなんとなく過ごしてしまうことの危険性をよくよく理解してしまっているわけです。

子どもたちが生まれて、社会人になるまでの約22年間。その中でも、両親が子どもたちの教育活動に主に携われる年月が18年間。何もしないには長い年月かもしれませんが。真剣に子どもの教育に取り組むには、あまりにも短すぎる期間だ。今更ではありますが、そう思うわけです。

過ぎ去った年月は2度と戻ってこないから・・・

遅かれ早かれ、子どもたちが社会に出てしまった後は、嫌でも「放任」せざるを得なくなってしまいます。僕たち両親と、子どもたちが、親子の関係であることは、ずっと変わらないのですが。両親が両親として、子どもたちが子どもたちとして、立ち振る舞える期間は、本当に短いです。いつかは、子どもたちも家族を持って、自分たちが主人公として、新たな「家族チーム」の取り組みを始めることにもなります。

順当に行けば、年長者である僕たち両親が、子どもたちよりも先にこの世にサヨナラを告げることにもなるわけです。そうすれば、子どもたちが大人として、自ら責任を持って、「成功=シアワセ」な人生を歩むべく、生きることになるわけです。どんなに子どもたちが可愛くても、どんなに子どもたちが、パパやママと一緒にいたくても。いずれは誰しもが、結果として「放任」な状態を迎えることになるわけです。

だからせめて、子どもたちが子どもたちとして、ひとつ屋根の下で、家族チームとして活動している期間は。「放任主義」で、「放ったらかし」な状態になるのではなく。改めて大富豪一族直伝の訓え。子どもたちが社会に出た後、「修羅」として活躍できるようになるところから、完全に逆算された、本物の「育児・教育」方法。過去を悔やんで、下をうつむいたまま、落ち込む必要は無いですが。今日からはじまるミライを素晴らしいものに変えるために。必要と非ば、ただちに「教育方針」を変えて。真剣に子どもたちの育児・教育に取り組んでみてはいかがでしょうか?

マスターヒロさんのお陰で、「やり方」は全て揃っています。必要なのは、両親の「やる気」だけです。「あの時せっかく目の前に チャンスがあったのに・・・」過ぎ去った年月はもう2度と戻っては来ません。年月が経過した後から、絶望的な後悔をしないためにも。子どもたちが、子どもらしく振る舞ってくれる今のうちに、決意と覚悟を固めて「子どもの育児・教育」に取り組んでみてはいかがでしょうか?