「10年後」子どもたちには、どちら側の人生を歩んでもらいたいですか?

  • 2022.08.02
  • 2022.08.02

子どもたちが生きる「10年後」は?

今から「10年後」・・・子どもたちのミライは想定できていますか?過去10年間を振り返っても分かる通り、今ものすごい勢いで、世の中が移り変わっています。10年前の常識は、すでに今日時点でも全く別物になっています。これから先10年間、僕たちが今まで想像できなかった程急スピードで世の中は変化を遂げるのは間違いありません。米国を中心とした世界企業の台頭。A.I.とロボットによるオートメーション化。IOTにメタバース。そんな中、就職出来得る企業の環境も、全く別物になっているはずです。

今、僕たちが従事しているお仕事の大多数が無くなってしまうのは容易に想定できること。全く新しい時代に生きる僕たちの子どもたち。富裕層はもっと富裕化していくかもしれませんが。貧困層はますます貧困になる。圧倒的な二極化。そんな中で、子どもたちには、どちら側のミライが待ち受けているのか?僕たち両親が生まれ育った時代の常識を、子どもたちに押し付けても何の意味もありませんし。かと言って、子どもたちには子どもたちの人生があるのだからと、「自由」を大義名分に放置し続けても、子どもたちが良い場所に流れ着いてくれるなどということは起こりえません。

過去の常識を捨て去り、子どもたちが生きる「10年後」の世の中から、完全に逆算された、ロードマップに基づき。着実に子どもたちが「成功=シアワセ」なミライを送れるように。僕たちは保護者として、子どもたちを導いてあげる必要があるのではないでしょうか?本来の「敎育」とは、小学受験、中学受験、高校受験、大学受験・・・・単に学歴を獲得するのが目的のものではありません。

新しい時代に生きる子どもたちが、自らの意思と力で「成功=シアワセ」な人生を歩んでもらうべく。必要な「武器」を、育んであげることこそ。僕たち両親が施すべき「子供の敎育」なのだと思うのです。

一歩も動かず「完全メシ」と「メタバース」

ある意味、すべてをありのままに生きると決めたのならば、生物的には、生きられる世の中が到来するのかもしれません。機械化とA.I.とロボット技術の急速な発達によって。かつては人間がやっていた労働を機械やロボットが代わりにやってくれる。今日時点では、日常生活の中で、食器洗浄機や、ルンバ(ロボット掃除機)がお手伝いしてくれるだけですが。「10年後」は、ありとあらゆる面倒な手仕事が、世の中から消えていくのかもしれません。

お仕事の中でも、すでに製造業の多くは、人の手を離れて自動化なされていますが、さらに多くのお仕事が、自動化されていくことになります。「A.I.とロボに仕事が奪われる」とも表現できますが。人並みの生活に甘んじ続けるだけであれば、人間がやらなければならなかった仕事の時間が減り。自由な時間を謳歌できる。現在で言う「生活保護」にも近しい、ベーシックインカム的な水準で生きるだけであれば、何も無理して労働してお金を稼ぐ必要も無くなるのかもしれません。

米国企業を中心とした企業のデバイスを使って、現実逃避して、メタバースの世界で、無課金や微課金で徘徊できる範囲で一日の大多数を過ごしたり。便利なIOT家電に囲まれて、クリック一つで家に運ばれた、安価な食材で腹を満たしたり。具体的に言えば、最近「セブンイレブン」などで売られている、「完全メシ」シリーズのようなもの、例えばウェハーススナックをかじるだけの食生活を送る方々も増えるのでは?

一日中、部屋の中から一歩も動かず、スナック型の「完全メシ」をかじり、メタバース。「10年後」なりの好きなことをして生きられる毎日。無理して働かなくても生きられる。もしも子どもたちにこうした日常生活を送ってほしいと言うのであれば。確かに、子どもたちに敎育など施すことなく、「自由」を掲げて放置し続けてもそれはそれなのかもしれません。

ブロイラー飼育型の人生

「10年後」の世界で、「人並み」に生きるのだとしたら。必要なくなるのは、人間としての「多様性」です。「メタバース」の世界に没頭して、「完全メシ」のスナックを食す。もしかしたら、排泄さえもトイレに移動するのが億劫になり、排泄がその場で出来る便利椅子も発売されているかもしれません。「少年ジャンプ」で連載されていた人気漫画に、『約束のネバーランド』というものがありました。既に全話完結しています。

この物語の中の主人公たちの設定は、実は「鬼」たちの高級家畜だった・・・。孤児院として運営されていますが、実は農園の中にある本部で敎育を受けた飼育監が、家畜である子どもたちに、最上級の味になってもらうべく、一切の恐怖を与えずに高い知能を得るための敎育を促す形で飼育されていた。

しかし、農園には、「金持ち鬼向け高級品」として、主人公たちが人間らしく飼われていた「高級農園」とは別に。「量産農園」というものがあり。位の低い一般庶民な鬼たちが食べる用の人肉として飼育されていて。無数の食用児たちが自我も与えられない状態で、チューブに繋がれて、栄養が与えられ、排泄もその場で行う状態。

生産性を追求した結果、合理化された大規模な密閉型の鶏舎の中に収容された飼養、「ブロイラー飼育」環境の人間版。毎日「メタバース」の世界に没頭して、「完全メシ」のスナックを食すことになる大多数の方々のミライを想像した時。この光景が脳裏に浮かんで重なりました。一体、「ブロイラー」と何が違うのだろうか?と僕は個人的に思いました。

果たして、そうしたミライは、子どもたちにとって、シアワセな状態なのか?考えた時に、これは絶対に違うはず。生物としては生きている状態なのかもしれないけれど。人間としては生きてはいない。子どもたちには、人間として「成功=シアワセ」な人生を歩んでもらいたい!そう僕は思ったのです。

どちら側の人生を歩んでもらいたいですか?

両親として、子どもたちにまともな敎育を施さなくても。子どもたちが生きるミライでは、生物としては、生きられる時代なのかもしれません。米国を中心とした世界企業の台頭。A,I.とロボットによるオートメーション化。IOTにメタバース。これらが僕たちにとっての当たり前の日常になり、煩わしいこと全てを代わりにやってくる。便利さが追求された超合理的社会が訪れてくれるのですから。

しかし、それは視点を変えて見ると「ブロイラー飼育型」な日常であり。人間として生きていると言えるのかどうか?何よりも、そうした日常に身を置き続ける子どもたちの目は輝いていないと思います。これが分かっていながら、「子どもたちには自由を!」自分らしい暮らし、好きなことをして生きてもらいたいと言うのなら。子どもたちは子どもたちの人生、私たち夫婦それぞれの人生を楽しむことが最優先。

訪れるミライを分かっていながら、そうした選択をされるのも、各々の価値観もありますし、「選択の自由」も存在しますので。それぞれの家族チームにとっての「自由」だとも言語化できます。しかし、僕は個人的に、子どもたちから始まる子孫末裔たちには、そういう人生を歩んで欲しくない。

学生生活の内に、価値ある学歴は取ってもらいながらも。これからの時代を担う企業に、自らの意思で就職したり。人生を共にできる伴侶と巡り合ったり。起業・独立から始まる、経営・投資の世界で活躍したり。自宅、車、子供の敎育、欲しいモノを手に入れたり、叶えたい願いを成し遂げたり、生物としてではなく、人間として、力強く歩む側になって欲しい。

そう、両親として願うのも両親としての「自由」であります。もしもあの時、メンターであるマスターヒロさんの訓えに耳を傾けることなく、YouTube視ながら寝転んでいる状態のまま今に至っていたら・・・と思うとゾッとします。そんな日常の延長上に待ち受けているのは、「生物としては生きているけれど・・・」という側の人生。けれども、あの時の僕たち両親の決断から、全ての流れを変えることができたのです。子どもたちが人間として力強く歩める側の人生を手に入れられるのです。あなたは、子どもたちに将来、どちら側の人生を歩んでもらいたいでしょうか?

追伸
1日3分LINE@「ワンチーム」を通して、10年後、子どもたちが、人間として生きられる側のミライを勝ち取れる方法が分かります。
『LINE@コミュニティ・ワンチーム』 https://p.kitasociety.com/line