凡人も天才も勝手に負けてくれる!戦わずして「億り人」になる

  • 2022.11.21
  • 2022.11.21

「天才」イコール「お金持ち」ではない

僕は、大富豪一族から教わったことで、真実を知ってしまいました。「お金持ち」になるために、求められることとしては、学歴・職歴・年齢・性別・才能一切関係が無いということを。とくに、「天才」的な才能があるかどうか?などは関係無いのです。当然ながら、世の中には天才的な才能的なモノを活用して、「修羅」レベルの売上だったり、年収だったりを、稼ぐことができている方々も、いることにはいるのですが。

一見華やかに活躍していそうな彼らも。よほど、楽天三木谷さん、ソフトバンク孫さんなど、有名上場企業の創業社長さんのように、ぶっちぎりで突き抜けることができなければ。実は内情が、ボロボロだったりします。とは言え、「才能がなければ稼げる」ということにもなりませんが。特に「才能」に頼って、稼いでいる方々は、好きだ嫌いだ、得意だ苦手だ、的なことで「取り組む・取り組まない」を決めてしまったりする傾向がありますので

。結局、嫌いと、苦手の中に、本来であれば、「お金持ち」になるために、必要不可欠なことが、あった場合。あっさりと詰んでしまいます。ビジネスの世界には、稼ぐ天才。セールスの天才。マーケティングの天才。企画・開発の天才。様々な分野における「天才的な才覚を発揮してビジネスに取り組める方々」はいることにはいるのですが。

「これとこれの必要パーツを集めるだけで、簡単にお金持ちになれますよ!」ということが、分かったとしても。自分が好きで得意で、才能を発揮できるかどうか?の基準で物事を判断しがちになってしまうので。この癖を修正しなければ、中々勝ち続けることはできない。僕たちのような「凡人」にも、最終的には負けてしまう可能性が高くなるのです。

逆に、僕たちのような「凡人」は、最初から、天才的な才能など、あてにして生きてはいないので。「必要ならパーツを集める」「必要ないならやらない」こうした判断のみで、必要最低限のことだけをする。逆に言えば、必要最低限のことは、必ずやる。このポイントを抑えるだけで、好き・嫌い、得意・苦手の判断基準で物事を選別してしまう「天才」にも、勝ち得る要素が、十分過ぎるほどあるわけです。

何をやっても凡才だった学生時代

僕の場合、昔から何らかしらの「成功」と言えるものを、勝ち取った時には、自力で考えて取り組んだものはありません。なぜなら、生まれながらの天才的な才能の類を、一切持ち合わせていなかったから。勉強も中途半端。スポーツも中途半端。習い事も中途半端。何に取り組んでも、それは何もやっていない方と比べれば、取り組んでいるモノはできることはありましたが。

常に、上には上が沢山いて、ありとあらゆる部分で、凡人的なレベルでしか、パフォーマンスできませんでした。だから、自分自身の能力的なものを、子どもの頃から一切信用していなかったのです。けれども、だからこそ、小学生時代から、自分以外の第三者に、「どうやったらうまくなるのか?」お伺いを立てて来ました。

先生、先輩、同級生、後輩、年齢や立場など関係なく。その道で、自分よりもできる人を見つけて、訓えを請う。教わったことを元に取り組むことで結果を出すという経験しかありません。長い年月費やして、自力で何かを、自分で実験と検証、試行と錯誤を繰り返しながら研究し続ける。なんてことを、まともにしたことがありません。

なぜなら、自力で考えて、一所懸命に下を向いて取り組み続けたことで。上手く言ったケースがただの一つもないからです。にも関わらず、「欲しい」と思ったものは、なるべく早期のタイミングで、手に入れたいという「欲」だけはある。だから、「どうやったら できるようになれますか?」その際に、垂れる頭は、カボチャよりも軽いのです。

そのお陰様で。46歳を迎えた今なお、「天才」的にできることなど、何一つとしてありませんが。経済力という部分では、日本で1万位あたりのところには来れていると思います。就労人口の「1万分の1」という形では無いでしょうか?経済の世界では、上には上が沢山いますので、「頂点に君臨する・・・」なんてことは、僕の器では、できることではありません。

凡人ですからね。僕よりも凄い人が、1万人位はいることになりますが。それでも、家族と自分が選択肢を持った状態で、生きるには十分なのです。「天才」でなくても、「成功=シアワセ」な人生を歩むことができる。実感させて頂いています。

「天才」的な才能を持つ人の弱点

かなりの大人な年齢になってしまった今。改めて理解できることとしては。「天才」には、「天才」なりの致命的な弱点というものがあり。その部分を克服できている「天才」という方に、なかなかお会いできません。例えば、ビジネスの世界でも、「稼ぐ天才」というのは、沢山います。けれども、彼らの多くは、本質的な意味で「お金持ち」になれているか?というと、決してそうではないのです。

例えば、売上高は高いけれども、会社にお金が無い。年収は高いけれども個人通帳にお金が無い。こうした天才的な才能を発揮して稼いでいる方々は、共通してお金がほとんど残っていない状態ばかりなのです。営業やマーケティングの活動で、天才的な才覚を発揮して。商品をバンバン売りまくる。

けれども、お金を残したり、残したお金を増やしたりする部分では、完全に欠如してしまっていたり。確かに、売上・利益が高ければ、会社は回り続けます。年収が高ければ、高級マンション、高級車、子どもの私立・インター。生活もハイレベルな状態を維持継続できます。けれども、内情は物凄く危うい。何かしらの風向きが変わって、ビジネスの売上が止まってしまったらどうなるのか?という部分では、穴だらけになってしまっているのです。

物凄い勢いで突き進むことはできるのですが。何かしらの障害物に足が引っかかってしまうと、ド派手に転倒してしまうのではないか?大事故に発展し得る状況なのです。また、高い年収を獲得できたとしても。その資金を元手に、投資の活動で増やそうとすると、とても大きな規模で、大失敗してしまうのです。「天才」の大きな弱点というのは、こういう現状があるのにも関わらず。第三者の言うことを、全く聴かないこと。

根本的に、子ども時代から、自分の「天才」的な才能を活用することで、上手くいくシーンを何度も経験してしまっているからなのだと思いますが。これでは、高度な設計図が、必要とされる、現代社会における、ビジネス・投資の世界で、継続的に勝ち続けることは難しいのです。

頭の重い凡人にならないように・・・

とは言え、凡人なら、素直にできる第三者に頭を垂れて、訓えを請うことができるのか?というと、残念ながらそんなことはありません。ともすれば、天才的な才能を発揮されている方々よりも。頑固一徹、自分の価値観に基づいた、好き・嫌い、得意・不得意謎の基準でガチガチになっている状態で。頑として、「今の自分を変えてなるるものか!」と言わんばかりに。できる第三者から学ぼうとしない。今までの人生の延長の範囲で、取れるものだけを取る。そんな状態に、陥ってしまっているのです。

天才的な才能を発揮できる方々は、高度な設計図が必要とされるフィールドでは極端に弱いけれど。それでも、自分の得意分野では、結果を出すことができるかもしれない。けれども、天才的な才能を持ち合わせない凡人は。そういう、ラッキーパンチさえ、発生しないので。永遠にうだつが上がらない状態に陥り続けてしまいます。

こうして世の中では、大多数の天才的な才覚を持たないのに、変わろうとしない学ぼうとしない単なる凡人のままの方々。ごくごく一部、天才的な才能を持って、才能とビジネスや投資がピシャっとハマっている間だけガツンと稼ぐことができるけれども。高度で継続性の求められるビジネス・投資の活動では、いつ「飛んでイスタンブール」に陥ってしまってもおかしくない方々。大多数が、負けるべくして負ける状態に陥ってしまっている。

そんな中、例えば僕たちが、平々凡々な凡人だとしても、正しい設計図を選択して、設計図を正しく解釈して、設計図通りに、取り組むことができれば。変わらない凡人変わらない天才彼らに打ち勝ち、「修羅レベル」の結果を、継続的に叩き出し続けることが可能になるのです。

ということで、「凡人だからこそ、変わるために学べ!」学歴・職歴・性別・年齢・才能関係なく。これだけやっていけば、そもそも論で、まともに戦わずして、大多数の方々に勝ち続けることができるのです。そして、日本で1万人位にランクインできれば、戦わずして「億り人」になれます。