教育の本質は単純明快、難しくしているのは両親の「考え方」

  • 2021.12.01
  • 2021.12.01

両親「とにかく一生懸命頑張りなさい!」

両親に言われるがままに、毎日10時間以上我武者羅に勉強して、子どもたちが一流大学に合格できたとします。それほど真剣に、頑張って、難関大学の受験合格を成し遂げたとしても。残念ながら・・・子どもたちが22歳を迎えて社会に出て。30歳を迎えた以降、年収は1,000万以上に届くことはありません。

どれだけ一生懸命頑張っても、年収700、800万位で頭打ちになってしまいます。「頑張れる」事自体は、「頑張れない」大多数の方々と比べれば、それはそれで、素晴らしいことだと言えますが。この「素晴らしい」のクオリティを、年収に置き換えると、上位10%にようやく到達できる範疇に留まってしまいます。

「頑張れない」90%の方々には勝てますが。そこから上の領域では途端に何をやっても勝てなくなります。僕たちのメンターであるマスターヒロさんの訓え、「0歳〜18歳の英才教育論」で、親子ともに習得できるのは、その手の頑張るクオリティではありません。この部分を間違えてしまうと、単に「一流大学に合格すればOK」と間違い、キチガイ、勘違い。どんなことに取り組んでも、最高で10%のクオリティにしか到達できない状態に留まってしまうのです。

学校や塾や予備校は「頑張れ」しか教われない

学校の先生や、塾に任せた勉強法では。「とにかく一生懸命 頑張りなさい!」としか教わることができません。「一流大学に合格するためには、みんな毎日10時間勉強してますよ!」ひたすら、膨大な量の教科書や参考書を勉強しまくることしか推奨されないのです。

生徒「毎日10時間勉強しました!」

先生「偉いですね!」

沢山の量をこなしている基準で、偉い、偉くないの判断がされてしまうことが大多数です。この方法は確かに、「頑張れない」大多数の子どもたちと比べれば。学校の成績も良くなりますし、全国模試の成績も比較的高い位置にいけます。北は北海道、南は沖縄まで、誰が採点しても、同じ答えは同じ点数になる暗記が中心の高校・大学受験ではこの方法でも一流大学に合格できてしまうかもしれません。

けれども、もしも「子どもたちが将来修羅になる」という基準では全く足りません。たとえば、年収基準で、年収1,000万=就労人口の3.8%年収2,000万=就労人口の0.4%のクオリティになってしまうと、全く歯が立たなくなってしまいます。

どうしてそうなってしまうのか?なぜ頑張るだけでは、ダメなのか?両親がこの部分が腑に落ちる形で理解できていないと。「とにかく頑張れば良い」ということが、「成功法則」であると、子どもたちが誤認識してしまう。大学受験までは、これでも結果は出るかもしれませんが。「修羅」として、活躍し続けることはできなくなります。

申し訳ないお話ですが、学校の先生も、塾の先生も、その大多数は、年収基準に換算すると、「修羅」ではありません。頑張って、努力をして、高校・大学受験の世界では結果は出た方々が先生をしていると思いますが。それでは、何年、何十年、頑張り続けても、絶対に「修羅の領域」に到達することはできないのです。

学校や塾や予備校任せは「虐待」

実は、「修羅」になれる方々の大多数は、学生時代から根本的な考え方が異なります。頑張るか?頑張らないか?という部分では、当たり前のように、頑張っていることだけは確かなのですが。「頑張る」前の段階の「考え方」が、根本から異なります。

なぜ、学校の先生任せではダメなのか?なぜ、塾や予備校の講師任せではダメなのか?ここに本質的な部分が秘め隠れているのですが。「目的を果たすために必要最低限なことだけ、頑張る」という頑張るクオリティであり。学校の先生や、塾や予備校の講師では、この部分は誰も教えてくれないのです。(もしも、教えられたら先生や講師がガチで年収基準で修羅になれてしまいます・・・)

では、誰が子どもたちに、教えられるのか?両親の影響が最も大きいことが分かります。両親が「とにかく頑張れ!」しか知らなかったとしたら、これはとても残酷なことだと思います。必要なことなのか?必要でないのことなのか?両親が全く分かっていない状態で、ただ学校の先生任せや、塾や予備校の講師任せにされている子どもたちは、まさに、「頑張っていること」の大多数は、全く必要ないことばかりを頑張っていることになります。

「〜任せ。。」ある意味両親は、お金は出していますが根本的には放置しているわけなので、これは言うならば「虐待」と同じです。子どもたちに、無意味なことばかりを頑張らせ続けている。本来、必要最低限のことだけ選んで頑張ることができれば。無駄なことをやっている時間、たっぷり睡眠を取ることができたかもしれないし。勉強以外の、学生時代に揃えたい「必要パーツ」集めに、もっと時間を割くこともできたかもしれないのです。

何をどう考えても、「虐待」以外の何ものでもありません。もっと言えば、子どもたちがその状態で、中途半端に「高校・大学受験合格」という成功体験を積んでしまったら。大人になっても、成功を得るために、無駄なことに時間と労力を費やし続ける癖がついてしまいます。

本当に必要なことだけに、時間と労力を費やしているライバルたちに。何をどうやっても、勝てるわけがありません。生涯に渡り、無駄なことばかりに時間と労力を費やし続ける教育をしているのですから。どの角度から見ても「虐待」であり、両親として、無責任極まりない行為であると認識する必要があります。

限りある寿命の中で「成功=シアワセ」になるために

仮に、僕たちや子どもたちの寿命が、1,000年とかあるのなら。その内、900年間は、無駄なこともやって、のんびり行こう・・・という方法もありなのかもしれません。けれども、残念ながら、僕たちの寿命はそんなに長くはありません。

両親が両親として、子どもたちが子どもたちとして親子らしく立ち振る舞える期間は、たったの18年間。大学4年間で、社会人になる準備を整えて、22歳を迎え子どもたちが独り立ちをした後。子どもたちが60歳で定年退職を迎えるまでに。たったの38年間しかありません。

22歳〜60歳の社会人38年間をもう少し分解して見ると。年収に圧倒的に差がつきはじめる30歳までの準備期間が、22歳〜30歳のたったの8年間。サラリーマンであれば、部長以上の職位を取れるかどうか?判断されるのが、30歳〜40歳のたったの10年間。

年収1,000万以上の高年収を目指そうという場合、40歳までに結果が出なければ、子どもたちは起業・独立して、自営業者の道を目指すしかありません。しかし、仮に40歳で独立して、60歳まで頑張ったとしても、たったの20年間。この後半の20年間は、年を追うごとに老化が加速して、心身の状態・能力はドンドン低下する一方ですし、その右肩下がりの中で、右肩上がりを目指すのは、そう簡単なことではありません。

22歳〜60歳までの間に、子どもたちが、結婚して子どもたちを授かったとしたら。次の世代の教育活動も並行して行う必要があるわけで。仮にその時に、子どもたちが修羅を目的基準とした「考え方」が、備わっていなければ。自分が子ども時代に培ってきてしまった「考え方」のクオリティそのままで、子どもたちの教育活動を行うことになってしまう。

その際、もしも、「とにかく我武者羅に頑張りなさい!」という「考え方」しか持ち合わせていなかったら。その子どもたちも、「とにかく我武者羅に頑張る」ことが常識として育つことになる。こうして歴史は繰り返す・・・。というわけです。

メンターのお話は常に単純明快

マスターヒロ「たったこれだけの必要パーツを集めるだけで子どもたちが将来、「修羅」になれますよ!」

僕たちのメンターである、マスターヒロさんの教えは常に単純明快です。必要で無いことを必要だと言うことはありません。本当に必要なことだけを「必要だ」とおっしゃってくださいます。その中で、難しくしてしまっているのは。子どもたちの、生まれながらの才覚や能力が足りないからではありません。

100%両親の「考え方」が、簡単なものを難しくしてしまっているだけです。子どもたちはみんな、真っ白な画用紙のように、本当はみんな素直なのですから。だから両親の「考え方」が、簡単なことを、簡単だと捉えられるようになれば。親子共に、本当に必要なことしかすることがなくなる。

本当に大事なことだけに、時間と労力を費やすことができる。大人になって年収基準で上位10%のクオリティを到達できるのは当然のこと。年収1,000万=就労人口の3.8%、年収2,000万=就労人口の0.4%。修羅の領域に昇ることが、夢や希望ではなく、現実に達成できる目標になり得るのです。これが、マスターヒロさん直伝の「帝王学」。「0歳〜18歳の英才教育論」の本質です。

今こうしている間にも、両親は無駄なことばかりを考えてしまっています。準じて、子どもたちも無駄なことばかりをやらされています。両親が早期に「考え方」を変えられれば変えられるほど。軌道修正は簡単です。本当に子どもたちの「成功=シアワセ」を願うのであれば。一刻も早く僕たち両親が「0歳〜18歳の英才教育論」に則った教育活動に切り替える必要があるわけです。

追伸・・・
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