「頑張り=成功」にはならない!成功し続けられる子どもの教育

  • 2022.10.18
  • 2022.10.18

頑張っていますか?

子どもの育児・教育にまつわるとても残酷な現実があります。両親がただ頑張ったら良い結果が出るわけではありません。頑張っても報われるとは限らない現実・・・。大人になって社会に出た後で、嫌というほど実感し続けて来たはずです。僕たち大人の世界でも、残念ながら、毎朝早く起床して、満員電車にギューギューな状態に押し込められて、もみくちゃになりながら時間をかけて出勤して。一日10時間以上、会社の中に半ば監禁状態で、就労に励み続けているのに、年収が低い方々も、沢山いらっしゃいます。

子どもの育児・教育に取り組む際も同じことです。両親が、闇雲に頑張って取り組めば、上手く行くわけでもありません。「私は頑張っているのだから・・・あなたも頑張りなさい!」子どもたちに対して、頑張って言い続けたとしても。子どもたちは、すぐに言うことを聞かなくなるでしょう。なぜなら、両親に言われた通りに、頑張ったところで。学校の勉強、習い事・・・など、あまり良い結果につながらないことが分かってきてしまうからです。

または、子どもによっては、両親に言われた通りに、ただただ闇雲に頑張り続けることで、多少なりとも、成功と言えるような、結果が出てしまったとしてら、その後大変なことになります。「頑張ったから上手く行ったんだ」とにかく我武者羅に一生懸命に頑張りました。だから、成功しました。頑張った過程と結果に、「成功」と言えるべき成果を出すことができたとしても。実はその成功の仕方には、意味と価値が乏しいどころか、往々にして、ヤバい状態へと直行してしまうことになります。

なぜなら、子どもたちは、ただ闇雲に頑張り続けることこそが、成功法則であると勘違いしてしまい、そのまま大人になってしまうからです。獲得難易度の低いモノやコト。それほどみんなが、欲しがらないような成果物で良いのなら、頑張り続けるだけでも、ある程度の結果は取れてしまうかもしれませんが。大人になってから高年収を目指すなど。獲得難易度の高い、欲しいモノを手に入れようとしたり、願いを叶えようとした時に。ただ頑張るだけの方法論では、たちまち詰んでしまうのです。

「要領良く」勝ち取っていく人たち

お金のことを真剣に語るコミュニティの中に。中学受験で「筑駒」に合格、その後「東大工学部」に進学、卒業されたIさんがいます。彼に、「筑駒」時代の同級生たちの中で、社会に出てからも大活躍されている方々の、共通項を挙げてもらいました。学生時代の勉強も、社会に出てからのお仕事も、何をやっても上手く行ってる人生を送っている方々・・・とも言えますが。彼らの共通項を抽象度の高い一言で言い表すと。「とても要領が良い」ということです。

「筑駒→東大」という日本における王道を歩み、社会に出てからも大活躍・・・というのですから。普通の方々であれば、彼らは我武者羅に頑張っているのだと、思われるかもしれません。分厚い参考書の類に、屈することなく、無我夢中に、闇雲に、我武者羅にとにかく頑張り続ける方々なのかと。ところが、答えは違ったのです。

どちらかと言うと、無我夢中系に頑張り続けるタイプの方々は、その後「東大卒」になった後、社会で上手く行っていない。ところが、社会でも大活躍されている方々は、「頑張り続けている」というよりは、「無駄なことをしない」。だから、「要領の良い」方々であるという、生の証言があったのです。

僕は東大卒Iさんのお話を聴いて、「なるほど、やはりね・・・」と思いました。なぜなら、お金の面でも、子どもの育児・教育の面でも、僕がメンターとして従事させて頂いている、マスターヒロさんの訓えと一致していたからです。「何をやっても上手くいく人」などというのは、世の中そうそう出会えたものでもありません。

現に僕も46年の人生の中で、本当にこれに該当する方は、メンターである大富豪ファーザーと、マスターヒロさん2人だけでした。だからこそ、メンティという形で、弟子入りすることになったのですが・・・。Iさんの場合も、「筑駒→東大」という学校の偏差値基準では、日本最高峰のルートで学生時代を送って来たにも関わらず、「何をやっても上手くいく人」などというのは、具体的に特定の人物しか思い浮かばなかったようです。

「何をやっても上手くいく人」の正体

「何をやっても上手くいく人」。我武者羅に頑張っているのではなく、「要領よく」成功を掴み取り続けている・・・。彼らは俗に言うところの「天才」なのでしょうか?学生であれば「文武両道」。勉強もできて、スポーツもできて、人間的にもしっかりしていて、素晴らしい学生時代を過ごす。その後、22歳を迎えて社会に出た後も、大活躍というような方々。

ただし、経済的にお金持ちになれていたとしても。ビジネスは上手だけど、投資では勝ったり負けたりの繰り返しとか。両親お金持ちだけど、子どもたち含めた家族はメチャクチャとか。これらは僕たちの言う、「何をやっても上手くいく人」の基準には該当しません。

こうした、ビジネス・投資・会社経営、子供の教育、どこから見ても、欠落しているところが見当たらないような方。人生の中で、出会えるか出ないないか位の超極レアな存在でもあります。彼らの共通項とは?もっと言えば、欲しいモノを手に入れたり、願いを叶えたり、「成功の仕方」そのものとは?実は、彼らの大多数は、俗に言うところの「天才」ではありません。

「天才」は、自分がどうして「成功」できるのか?その根拠が分かりません。生まれながらの才能で、「成功」できてしまうのですから。何かに関しては成功できるけれども、他のことはダメダメだったり、メチャクチャだったりと言う場合が多いです。

例えば、何かのビジネスでお金を稼ぐのはものすごく得意だけれど。投資の活動では勝ったり負けたりの繰り返し。子どもの教育もメチャクチャ。という状態に陥ってしまう場合が多いです。なぜなら、自分がどうして「成功しているのか?」。天才はその根拠が自分で分からないので。他人が失敗する理由も、他人が成功する理由も、分からない。

すると、いざ投資の活動に取り組んだりすると。なぜその投資案件が、良いのか?分からないから、いちかばちかのギャンブル状態になる。子どもの育児・教育でも、一体どうすれば、子どもたちが22歳を迎えた時、素晴らしい状態に育ってくれるのか?その理由も分からないので、「子どもは勝手に育つ・・・」と考えて。実際には、子どもは勝手に育ってくれないことを、子どもたちが大きくなった時に、知らされることになるのです。

一方で、僕のメンターであるマスターヒロさんの場合は、自分がビジネス・投資の活動で「無敗神話」25年継続中。本当に、何をやっても上手くいきます。そればかりか、ご自身ができるわけではなく、子どもたちも素晴らしい状態に育成することができています。つまり、「何をやっても上手く行く人」マスターヒロさんは、「天才」ではないことが分かります。

「頑張り=成功」にはならない

もしもマスターヒロさんが「天才」であったのなら。僕を育成できなかったでしょう。もっと言えば、僕はマスターヒロさんから教わったことを、そのまま実行しただけで。ビジネス・投資も、失敗することが無くなり。もっと喜ばしいことに、僕の2人の子どもたち。既に15歳、13歳・・・と、子どもの教育活動としては、かなり遅いスタートだったにも関わらず。子どもたちもたったの3年間で、「ビリギャル」的に、まるで別人のように、生まれ変わってしまったのです。

マスターヒロさん → 子どもたち   

真田孔明 → 子どもたち

もしも「天才」的な要素が必要だった場合、このように、「成功」が連鎖して行くことが起こるわけがありません。A〜Z全てに根拠がある。根拠があるから、後発的に変えられる。マスターヒロさんから僕に、「成功の仕方」そのものを、伝承頂いたことになりますし。僕から子どもたちに、「成功の仕方」そのものを継承したことになります。

・・・そんな今だから改めて分かることですが。「成功」に向かって取り組んで失敗した人は「頑張りが足りなかったのか?」。というと、「成功」に「頑張る」という言葉は直接は関係無いことが改めてよく分かります。

「努力をして成功することになるかもしれないし。」「それほど努力をしないでも、 要領よく成功することになるかもしれないし。」欲しいモノを手に入れる。叶えたい願いを実現する。何を目標として狙うか?誰がどんな状態スタートで、狙うのか?これによって、全く異なりますので。「頑張り=成功」という形にはならないのです。

これが分かっていない状態で、子どもたちに向かって、ただただ闇雲に、「頑張りなさい!」と言ってしまうことは。子どもの育児・教育に、必ず失敗する・・・と言っても過言ではないのですね。