才能や運に頼らない「成功の仕方」を身につけ挑戦できる世界

  • 2022.08.13
  • 2022.08.13

才能や運に頼らない「成功」とは?

天才的な才能を持っていることが悪いわけではありません。運や勘やセンスのあることが悪いわけでもありません。けれども、時代の流れや環境変化によって、全く通用しなくなることもありますし。さらには、常に成功の要因に、偶然性やラッキーに委ねる部分が出てきてしまい。そこが大きなほころびとなって大失敗へとつながってしまう恐れも出てきます。

何よりも、自分の子ども含めて自分以外の第三者に継承することはできません。どれも共通して、成功の継続性という部分では、必ず穴が生じてしまいます。継承という部分では、そもそも論で、一体何を継承して良いのかも分からなくなります。こうして、世の中では、天才的な才能を持ち、運も勘もセンスも優れた方々が。ビジネス・投資という世界では上手く行かなくなることもある状態へと陥ってしまう原因になる。

特のこの状態で、自分以外の第三者にビジネスを任せる会社経営の世界では中々うまく行きませんし。株式投資、不動産投資では、いつまで経ってもイチかバチかのギャンブラー状態から脱却することはできません。自分が船長兼作業員としてビジネスを行う「労働経営者」的な状態から脱却して。本質的な意味での「経営者・投資家」になり、お金と、場所と、時間の自由を手に入れるためには。こうした、才能や運、勘、センスに頼らずに、狙った「成功」ができる状態を構築することが、最優先になります。

「成功した」にしても、どこからどこまでが必然的な「根拠」のある「成功」であり。どこからどこまでが、偶然性のある才能や運、勘、センスに頼った「成功」なのか?クリティカルに分析できる力が必要です。その際に、必要となるのが「250分の1」の基準。最低限、「250分の1」の競争力が発生する部分は、確実に「根拠」のある「成功」の状態を礎とした上で。「経営」「投資」の活動に取り組むことが求められます。

「成功」を一過性のものではなく、継続的なものにするために、継承していけるものにするために、必ず求められる部分です。ここを僕たちは、マスターヒロさんをメンターとして、「メンタリング」を通して教わっているのです。

「250分の1」基準の「成功脳」に書き換える

僕たちにとっての「成功」の基準は「250分の1」です。これは、「その基準以上の 成功をしてはダメ」ということではなくて。どんなに下振れしたとしても、「最低限「250分の1」 確かな根拠と共に 狙った「成功」を獲得する」という意味で。「成功」というからには、あくまでも「競争」が発生している中で、「勝ち取った」という側面が必ずついて回ります。

例えば、「年収」という部分で、「250分の1」であれば、日本の全就労人口の0.4%、「年収2,000万」ということになります。この「250分の1」という基準であれば、学歴・職歴・性別・年齢・才能一切関係なく。後発的に育む「考え方」だけで、狙って獲得でき得る難易度であると言い換えることができます。まず大前提として、この「250分の1」基準の「成功」は、確かな「根拠」と共に、狙った「成功」だけを掴み取れるようになること。

僕たち社会人であれば、評価の基準は「年収」ですので。まずは、サラリーマンとしての就労であれ、自分で起ち上げたビジネスであれ、ここを基準に、「考え方=脳のOS」そのものを、書き換えていくということが、何よりも優先されることになります

「考え方=脳のOS」書き換え前

・何をやっても上手く行かない状態

・成功したり、失敗したりを繰り返している状態

 ↓

「考え方=脳のOS」書き換え後

・何をやっても「250分の1」基準で狙った「成功」だけができる状態

具体的なアクティビティがあると、どういう「考え方」で取り組んでいるのか?自分も、メンター含めた第三者も分かりやすく状況を分析できますので。この部分は焦ること無く、じっくりと年月を費やして取り組む意味と価値があります。「250分の1」基準での、「成功の仕方」がその正しい解釈と共に理解できてくると。最初に取り組んだアクティビティでは、まるで乗れなかった自転車に乗れるようになったような感覚で。「成功」を繰り返すことができるようになれます。

「狙った成功の仕方」を「複製」して行く

「年収」に直結する一つのアクティビティで、狙って「250分の1」基準の「成功」が出来るようになった後。次の「アクティビティ」でも、全く同じように、狙って「250分の1」基準の「成功」ができるようになるか?次に別のアクティビティにも挑戦します。「成功」・・・価値あるモノを獲得したり、叶えたい願いを叶えたり。「競争」が発生している別の分野での新たな挑戦です。

第二、第三のビジネスに挑戦したり。購入した瞬間に勝利が約束されるモノの獲得に挑戦したり。銀行融資に挑戦したり。株式投資に挑戦したり。価値あるマイホームの獲得に挑戦したり。人気の車の獲得に挑戦したり。何に挑戦するのか?「成功の仕方は何でも一緒 成功の仕方があり、それぞれに特化した設計図があるだけ」ここを抑えながら、全く同じ「250分の1」基準の「成功の仕方」を意識した上で。狙った「成功」に挑戦するのです。

この際も、1つ目のアクティビティと同じで、「成功」できたとしても。「成功した」にしても、どこからどこまでが必然的な「根拠」のある「成功」であり。どこからどこまでが、偶然性のある才能や運、勘、センスに頼った「成功」なのか?常にクリティカルに分析し続けることが求められます。

目的基準は、「狙った成功」ですので。なるべく、偶然要素の全てを排除して、狙って「成功」できたのか?「成功」したけれど偶然要素が入ってしまっていたのか?他の誰よりも自分自身に嘘をつくこと無く、基準をずらすこと無く、着実に遂行して行くのです。

この基準をずらしたり、自分に甘く適当に分析したりしてしまうと。いつまで経っても、成功できなかったり、成功したり、失敗したりの繰り返しだったりの、「悪い癖」が残り続けたままになってしまいます。そうした穴は、更に高みを目指そうとした時に、大きなバグとなり、結局は自分に「戻ってこれない大失敗」となって降り掛かって来てしまいますので。クリティカルかつ丁寧に、遂行して行くことが求められます。

「狙った成功の仕方」を「継承」して行く

自分が何をやっても、「250分の1」基準での「狙った成功」だけを繰り返せるようになった状態になると。結果として、「成功」だけが複合的に相乗効果を生むモードに突入していきますので。この地点では、年収・資産・・・経済的な部分では、間違いなく「修羅」なれています。成功せざるを得なくなる状態。すなわち、「成功シンドローム」です。

次に挑戦するのが、自分以外の第三者に、「成功の仕方」を「継承」することです。しかし、この際にも、「基準」の確認が必要になります。例えば、自分の後継者・・・自分と血の繋がりのある子どもたちや、血の繋がりは無いけれども、事業を完全に任せられる後見人的な存在であれば。「250分の1」基準の「成功の仕方」そのものを、「完全継承」しても構わないと思いますが。

その予定がない、社員、スタッフ・・・などなどの場合は、全てを「継承」してしまうと、「後は自分でできます・・・」的に、せっかく「継承」したのに、どこかに行ってしまう恐れも出てきてしまいますので。「継承」したい相手と、「継承」する「範囲」はよく考える必要があります。また、この際新たに、自分以外の第三者に事業を任せるための「経営者」としての「設計図」も学んで理解しておく必要があります。

「250分の1」基準の「成功の仕方」の「継承」、「経営者」としての「設計図」。これが出来るようになると、自分が船長を務める「労働経営者」としてのビジネスだけでなく。自分以外の第三者が船長を務める「経営者」としてのステージに進めることになります。複数の会社法人で、「銀行融資+会社法人の経営+ビジネス」が営めるようになると、「資金」の増加が掛け算になってきますので。結果として「投資家」として増やす「資金」の額も上昇することになります。

こうした経緯を経てあなたも無敗の「経営者・投資家」の目標が、夢や希望ではなく、達成でき得る「現実」となるのです。人生をかけて挑戦する、意味と価値のある活動だと、僕は個人的に思うのですが、いかがでしょうか?

追伸
「250分の1」基準の「成功の仕方」と、全ての「設計図」をゼロから学びたい場合は、「地下ソサエティ」の活動に挑戦下さいね。「億り人へのロードマップ」→ https://joinnow.live/s/av1Q91