「シアワセ」の価値観はそれぞれ 死後か?夢や希望か?現実か?
- 2023.08.17
- 2023.08.17
古今東西、過去から現在に至るまで。平和を願う者。悪名を残す者。覇業を成す者。様々な人間が、夢のために生きてきたことだと思います。確かに、すべての人間が、夢を叶えられたわけではありません。仮に成し遂げられなかったとしても、夢半ばにして、力尽きることと。最初から、夢をあきらめることは、同じではないと思います。
挑戦する事もなく、夢をあきらめて、果たして本当に「シアワセな人生だった」と言えるのでしょうか?たった一度キリの限られた人生なのですから。残りの人生の全てをかけて、夢を抱き、夢に向かって挑戦をしてもらいたいと思います。
しかし、せっかく何かを成し遂げようと、強く思えるのでしたら。どうせだったら、成し遂げられるかどうかも分からない、夢や希望の物語を頭に思い浮かべて、妄想に浸り続けるのではなく。着実に現実に成し遂げて頂きたいと僕個人的には思います。
単に夢や希望を抱き続けたまま、無策なままに突き進んでしまうと。家族、恋人、仲間たち、そのみんなが被害を被る、悲劇が訪れてしまいます。一生懸命、夢を追いかけ続けて、自己満足には浸れていたと思ったら。フト周りを見渡してみたら、誰も自分についてきてくれなかった。これも、実際に起こることだと、歴史が証明してくれています。
だから、こうして僕からのメッセージを受け取ってくださるあなたには。強く抱いた夢や希望を、達成できる現実へと変えてもらいたいと思うのです。あなたも夢中になって取り組める。あなたについてきてくださる家族、恋人、仲間たちもあなたについてきて良かったと心の奥底から喜べる。
夢や希望を、現実に達成できる目標に変えて、夢中になって突き進む。目標を達成した瞬間だけでなく、目指して歩む過程そのものも、思う存分楽しんで頂く。それこそが「シアワセ」な人生だとお伝えしたいのです。
目次
「価値観」の強要・強制はしません
ただし、僕は価値観の押しつけはしたくはありません。なぜなら、人によって「価値観」は異なるからです。昔、政治と宗教が密接に結びついていた時代は。朝起きたら、こうしなくてはならない。起きている間はこうしなくてはならない。寝る時にはこうしなくてはならない。
衣食住、趣味に至るまで。さらには、死後のあり方まで。中央集権的な権力者や国家が、民草を完全管理していた時代が長く続いていました。けれども、僕たちが生まれた今の時代は、思想・良心の自由(第19条)。信教の自 由(第20条)。表現の自由(第21条)。学問の自由(第23条)などの、精神的自由、人間の精神活動の自由を中心に。国家権力によっても侵害されない個人の自由。 信教・学問・思想・言論・集会・結社・職業選択・居住・移転の自由などが、基本的人権として保証されているのです。
自由として許された範囲内で、どのような自由に「シアワセ」を感じ、追い求めるのかは、まさに各々の自由であり。自分以外の第三者から、強要・強制されるたぐいのものではありません。けれども一方で、そこに目的があるのなら・・・。例えば、「お金持ちになりたい!」などと言った、夢や希望、具体的な目標を抱いているのなら。どのように自由の基準を構築して行くのか?
目標から逆算された論理的思考に基づく、有効的な基準の設定方法は存在するわけで。人生における「シアワセ」は、お金で100%全てが手に入るわけではないけれども。およそ95%はお金によって掴み取れるものであり。残りの「お金」だけでは手に入らない5%にも価値がある。という現実を直視することで、僕が発信している情報は、「お金のこと」が中心になっている。
この部分を根幹に、こういう時はこう考えて、こうした時には、こう判断した方が賢明。すなわち、現在地から目指すところまでの到達にかかる時間、距離が、最速、最短になりますよということ。その基準を、根拠と共に情報共有させて頂いています。先に挙げた、夢や希望と目標の違い、基準のお話も、全てはここから導き出された、合理性、論理性のあるものであるわけなのです。
「死後のシアワセ」と「夢や希望のシアワセ」
何を持って「シアワセ」とするか?これは本当に、人それぞれだと思います。世の中では多種多様な「シアワセ」の価値観で、満ち溢れています。例えば、いつ「シアワセ」になるのか?と言った視点から、見た時にも。自分の死後に願いが叶い、あの世で「シアワセ」になれると考えている方々も、本当に沢山います。
現に大多数の信教では、「死後のシアワセ」から逆算された現世の考え方や立ち振舞い方が推奨されています。今日時点においても、世界の約半数以上の方々が、こうして「死後のシアワセ」を追い求めていて。現世では、苦行とも言える日常を送り続けている様子を伺うことができます。これも、「シアワセ」の形だと思うし、僕も彼らの考え方を、否定することはありません。
また、特に「死後のシアワセ」を強く願っているわけではないけれども。生きている間は、常に夢や希望に、抱き続けていたい。夢や希望を抱いて、妄想に浸り続けたり、夢や希望に向かって歩んでいる状態そのものに、「シアワセ」を感じている方々も、本当に多いです。
こうした方々からは、達成できるかどうかは、度外視で考え行動している様子が伺えます。それ自体に「シアワセ」を抱いているので。僕が、「その方法では、あなたが抱いている夢や希望が叶うことはありませんよ!」「夢や希望を抱くのはやめて、具体的に達成できる目標に変えましょうよ!」そう、強く促したところで、「夢や希望に浸っていることそのものが私のシアワセなのだから、現実的なことは言わないでくれ!」と、言われてしまえば、それまでのお話になります。
この場合は、「ご自身のシアワセが 叶っている状態で、 良かったですね!」としか僕には言えません。「シアワセの価値観」は人それぞれ、自由なのですから、「死後のシアワセ」を願おうが、「成し遂げられることのない 夢や希望に浸っている状態が シアワセ」であろうが、それは、自由なのです。
生きている間に現実的に成し遂げられる「シアワセ」
僕は個人的に、自分の「死後のシアワセ」は追い求めていません。だから、「あの世でシアワセになるため」には考え行動していません。あくまでも、自分の生きている間の「シアワセ」を考えて考え行動しています。
ただし、自分の死後にも、自分の家族や仲間には、「シアワセ」になってもらいたいと思います。だから、自分が死んだら、後のことはどうでも良い・・・というわけではなく。むしろ、自分が死んでも、残された方々が、自らの意志で「シアワセ」を掴み取れるようになってもらいたいと、そのために考え、行動しています。
また、生きている間に、現実的に達成できることにしか、「シアワセ」を抱くこともできません。例えば、僕の情報発信の主なテーマである「お金」に関しても、「いつかお金持ちになりたいな・・・」と、具体的な目的地も、達成手段が無い状態で、夢や希望を抱いて、妄想に浸ることには、一切「シアワセ」を感じることができません。
例えば、設定上、クリアできないRPGゲームが存在したとして。ただ漠然と、レベル上げのための経験値稼ぎをしたり、装備・アイテム・スキル集めをしたりのために、夢中になって取り組むことはできないと、表現したら分かりやすいでしょうか?生きている間に、限られた期限内に、現実的に手に入れられるかどうか、分からないものに、夢中になって取り組むことはできないのです。
だから、「あの世のシアワセ」を抱いて、苦行を続ける方々を、凄いな・・・と思いますし。成し遂げられるかどうかも分からない夢や希望に向かって我武者羅に取り組める方々を、凄いな・・・と思います。僕にはそんなことが絶対にできないからです。
具体的には、論理的な視点から想定して、その先に「お金持ち」になれないことは明らかなのに。ただただお仕事、ビジネスに取り組み続けている方々。本当に凄いなと思います。よくぞ毎日同じことを繰り返し続けられるな・・・。感心してしまいます。でも、自分の身に置き換えて考えてみると、そうした人生は絶対に送りたくありません。
具体的な目標地点も無く、到達地点に向かう手段も分からない。夢や希望を抱いて、我武者羅に取り組み続けている方々、気持ちは分からないし、僕には真似ができないことです。僕には、そうした「死後のシアワセ」や、夢や希望に浸り続ける「シアワセ」のあり方を、説くことはできません。あくまでも、生きている間に、現実的に達成できる範囲での、「シアワセ」しか語ることはできないのです。
こうした僕自信の「シアワセの価値観」から、「お金」を中心とした、お仕事、ビジネス、会社経営、銀行融資、株式投資、不動産、資産性の高いモノ、子供の教育・継承・・・を、その具体的な目標設定の仕方と、超効率的、効果的な達成手段の方法を、語らせて頂いているのです。