「お金」の社会システムの中で「成功=シアワセ」になることとは?

  • 2022.06.10
  • 2022.06.10

「あなたは成功=シアワセになりたいでしょうか?」この問いを投げかければ100人聴いたら100人「YES」と回答するはずです。「失敗=フコウ」な人生を送りたい!という排他的な方など、1,000人に1人の確率でしかいないでしょうから。けれども、大多数の方々は、「あなたにとっての 成功=シアワセって何ですか?」抽象的な言葉である「成功=シアワセ」に、具体性をもたせようとする段階で、思考が停止してしまいます。大多数の方々は、「成功=シアワセ」になるための目的地が分からないので。結局は、海に浮き輪でプカプカ浮かんでいる状態になります。

一部の方々は、自分なりの解釈にて、「私にとっての成功=シアワセ」を決めて、一生懸命取り組む形になるのですが。あくまでも、解釈の基準は自分なので、周りから見ると「あの人は才能の 無駄遣いをしている・・・」的に、見られてしまうだけで、あまり「成功=シアワセ」なようには、見えない場合が多いです。それでも、「私が成功=シアワセだと思えば、それで良いじゃないですか!」と言われてしまえばそれまでなのですが。。でも、今僕たちがインターネットを介してこうして熱く語り合っているのは「お金」です。ここは「お金」について語り合う場所です。

世の中「お金が全て!」ではないのは重々承知していますし、僕も「お金」だけを追いかけた人生を送っているわけでもありません。でなければ、南国マレーシアやハワイにフラフラ趣き、長期滞在なんてムダなことをしません。現実問題としては、自宅、夫婦生活、子供の敎育、車食べ物、着るもの、趣味・・・etc.価値あるコト・モノを獲得しようとする際には、100%全てではありませんが、約95%はお金があれば手に入ってしまうコト・モノである現実からは目を背けることはできません。

だから僕たちは、「成功=シアワセ」になるために、こうして「お金」について真剣に向かい合い、語り合っているのです。世の中の大多数の方々には、誰が何を「成功=シアワセ」だと思っていてもらっても構わないのですが。今こうして僕のお話を聞いてくださっている、あなたにだけは、「共通言語」として理解頂きたいのです。

選択の自由

ミライに到達したい「目的地」自体には、「選択の自由」があるのですが。今日時点においては、各々が今いる位置によっては、「選択の自由」が、制限されてしまいます。その制限が発生する原因が、「お金」という、資本主義・民主主義の世の中を根幹から支える社会システムです。日本国憲法第十四条すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は、社会的関係において、差別されない。・・・とありますが、「お金」という社会システムの下では、結果として平等にはなりません。

大多数の「お金」の乏しい、貧しい方々には、「選択の自由」がありません。しかし、今の貧しい状況を選んだのも全て自分であるという解釈になります。頑張らないからダメなのだと。ごくごく一部少数の「お金持ち」と呼ばれる富める方々には「選択の自由」があります。「お金持ち」になれたのは、本人が頑張った結果であるという解釈になります。華族その他の貴族の制度は、これを認めない。とありますが、「お金持ち」は結果として昔の華族や貴族のような暮らしを謳歌することも選択できます。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。確かに、栄誉、勲章は一代で終わりますが、「お金持ち」として築き上げた貯金、資産、会社法人などは、次の世代に継承することができます。

こうして、「日本国憲法第十四条」は引き続き日本を形作る、大切な法の一つとしてあるわけですが。世の中で現実として起きていることは、「お金」という社会システムによって全く別物になっている矛盾が生じているのです。僕は、これの良し悪しを語れる立場ではありませんので。いいね!とか、ダメだ!と主観的な持論を論じたいわけではなく。こうした現実と向かい合ってもらうために、こうして言語化しています。

「お金」が産み出した階層と選択肢

しかし、確かに法の下の平等ですので、誰がどの階層に行くのかは、自分で決められることは確かであります。一部お金持ちの家に生まれたという「生誕ガチャ」で、SSRを引いた場合、イキナリ無双モードで人生ゲーム開始・・・というケースもありますが、これは、ミラクルラッキーケースなので、今日、この場で語るのはやめておきましょう。それぞれが、どの階層に生きているのか?「お金」という社会システム下では、年収によって確認可能です。具体的に例として挙げると・・・・

・偏差値50:日本の平均年収
年収415万円(手取り315万円)
月間26.25万円の中で選択できる
・偏差値63:上位10%未満
年収700万円(手取り529万円)
月間44万円の中で選択できる
・偏差値68:上位3.8%未満
年収1,000万(手取り712万円)
月間59.3万円の中で選択できる
・偏差値77:上位0.4%未満
年収2,000万(手取り1,268万円)
月間105.6万円の中で「選択できる」

・・・というような、「お金」という社会システムにおけるピラミッド型の階層が浮かび上がってきます。※年収415万未満は省略この場合、年収415万の方は、月間26.25万円の中から、どのようなライフスタイルを送るのか?自分で決めて生活として実行できます。しかし、年収700万、年収1,000万、年収2,000万自分よりも上位階層の方々と同じだけの「選択の自由」は持てません。「お金が足りない・・・」となります。年収2,000万の方は、月間105.6万円の中から、どのようなライフスタイルを送るのか?自分で決めて生活として実行できます。

しかし上には上がいて、年収2,000万の方々でも、年収億単位の方々と同じ「選択肢」はもてません。上の階層の方々は、下の階層全ての人たちと同じ「選択肢」も持つことはできますが。下の階層の方々は、上の階層の方々と同じ「選択肢」は持てない。こうして、「お金」という社会システムは、平等と言えるのか?平等と言えないのか?どちらとも、解釈でき得る、矛盾を産み出しているのです。

「年収」を高めるための難易度

「あなたの目標年収はいくらですか?」このように質問をした時、現在の年収700万の方が、目標年収として、415万を掲げないと思います。当然ながら、自分の今の年収よりも、高い年収を「目標として」回答されます。年収が高まれば、今の自分よりも「選択肢」が増えるのですから、高い年収を掲げるのは、ごくごく自然のことだと思います。「選択肢」の無い人生を送りたいか?「選択肢」のある人生を送りたいか?「選択肢」のある人生の方が、魅力的ですから。

けれどもこの際、ご自身の年収が数百万台にも関わらず、イキナリ「年収1億!」「年収5,000万!」と回答をされる方々がいます。その際、「夢や希望を聴いているのではなく、現実に達成でき得る、 目標を聴いています。」と指摘させて頂くと、中には怒り出してしまう方もいます。

「孔明さんのお話は夢がない。本で読んだ大富豪たちは、夢は大きく!と言ってましたよ!」的なことを逆におっしゃられる方もいらっしゃいます。しかし、僕がお話させて頂くのは、あくまでも「現実」です。この基準はブレることはありません。「年収を高めたい!」と思ったとしても、年収を高めようとすればするほどに、難易度が上がってしまうのです。例えば、世の中に就労者が1,000人しかいないと考えた場合。年収415万であれば、偏差値50(50%)なので、500位/1,000人になれば達成できます。

下の500人は、さぼったり、弱音を吐いたり、頑張れなかったり、投げ出したりちょっと辛いからと逃亡したり・・・という方々も多く、自分が、逃げずにサボらず一生懸命頑張るだけでも、すぐに到達できる領域です。けれども、年収700万になると、偏差値63(10%)なので、100位/1,000人にならなければ達成できません。年収415万スタートで、年収700万を目指すということは、スタート時点で、自分よりも一生懸命かつ優秀なヤツラを、400人抜かないと達成できません。

年収700万スタートで、年収1,000万を目指すとなると、偏差値68(3.8%)なので、40位/1,000人にならなければ達成できません。つまり、60人抜きということになるのですが、この領域になると、かなり真剣で一生懸命で俗に言う賢いヤツラばかりになってくるので。500位→100位の時に400人ごぼう抜きした時とは、桁違いに難易度が上がります。さらに、年収1,000万スタートで、年収2,000万を目指すとなると、偏差値77なので、3位/1,000位にならなければ達成できません。

年収1,000万=40位/1,000人
  ↓
年収2,000万=3位/1,000人

36人抜くことになるのですが、ここの36人は、誰もが共通して、かなり一生懸命だし、絶対さぼってくれないし、当然ながら賢いし、様々な特別レベルの武器ももっているので。ちょっとやそっと頑張った!だけでは、超えることは絶対できません。頑張るということが、全く武器にはならない領域です。そして、年収3,000万・・・から先は、1,000人中で、必ず1位になれるような、ヤバいヤツラが底辺となり。さらに、次のステージでの闘いになるわけです。

年収5,000万とか、年収1億とか言うのは、自分が3位/1,000人「年収2,000万さえ」達成できいないのに、目標として目指せるようなステージではありません。だから、自分の年収が数百万台なのに、そういう年収を掲げられる時点で、「夢や希望を見てるだけ・・・」と言われても、おかしくないわけです。現実に達成手段のあることを目標と言うのですから。

具体的な「目標」を設定する

「お金」の社会システムの中では、年収を高めれば。ライフスタイルの中で、「選択肢」が増える。年収目標を達成するまでの過程、年収目標を達成した瞬間、年収目標達成した後、以前よりも「選択肢」が増えている状態。この一連のプロセスとのものを、「成功=シアワセ」と表現しているのでは無いでしょうか?確かに、上を目指せば目指す程に、難易度が急激に上がっていきます。だからこそ、その難関を突破する過程、達成した後の達成感が、より大きくなり。より「成功=シアワセ」が大きなものになってくるわけです。

「あなたは成功=シアワセになりたいでしょうか?」これを問われた時に、どんなクオリティの「成功=シアワセ」を目指すのか?各々違いますが、自分の今いる地点から目指す目標までの位置や難易度を正しく理解した上で。何のために、どの年収帯を目指すのか?目的地にいつまでに、どうやって到達するのか?具体的な「目標」を設定して、実現に向けて真剣に取り組むことで、「成功=シアワセ」を体現できるのではないでしょうか?