極稀に実在する「底が見えない」本当に「ヤバいヤツ」とは?

  • 2022.04.29
  • 2022.04.29

「ヤバいなコイツ!これから一体どれだけ伸びるんだ!?底が全く見えない・・・(汗)」沢山の方々とオフライン・オンラインを通して接し続けている中で、ごくごく稀にではありますが、鳥肌が立つほど驚異を感じる「ヤツ」と巡り合うことがあります。このまま年月が経過すると、あっという間に抜かされてしまうのではないか?焦りを覚えると共に、自分も常にそうあらなければならないな!と、クリティカルな視点で自分の「考え方」を見直すキッカケにもなります。それは、どんな「ヤツ」でしょうか?

上がったり下がったり「ジグザグ」系の方々

例えば、「ロイ式」「ケイタ式」「会社経営」「銀行融資」などの「ビジネス、投資」にまつわる取り組みをする中で。「オレ、こういうのは好きで、得意なんです!」「自信がつきました!これからも頑張りたいと思います!」「こうやったら、こんなすごいことができるようになりました。ありがとうございます!」・・・というような、意見や感想、状況報告をされる方々を見ても。

「極めて普通・・・その根拠の無い自信は一体どこから来るのか?」何かの拍子に、堕ちて行ってしまわないか?とてもとても心配になってしまいます。とは言え、こういう状態でも、「まだ何も取り組めていません。」「やる気が沸き起こりません。」

講義にも出たりサボったり、その内幽霊部員的に消えていく・・・もう人生変わるチャンスは二度と来ないのではないか?というような方々よりは、やる気を抱いて取り組めているだけでも、それはそれで素晴らしいことだとは思うのですが。このように、自分を何を根拠にしているのかは分からないけれども、高く評価してしまうような方々からは。正直、驚異も感じないし、焦りも覚えません。仮に瞬間最大風速的に、神風に乗って上手く行くようなことがあって、「修羅の領域」に到達するようなことがあったとしても。その状態を、長期間に渡って続けることはできないでしょうし。

そういう自己満足に浸れる状態というのは、新たに素直に頭を垂れて、「調子の良いときこそ学ぶ」なんてことはまずできないでしょうし。再び素直で謙虚な姿勢に戻れるのは、どん底に至るまで調子が悪くなってからになりますので。結局は、ある一定以上より上の領域には行くことは無い。逆に、全く何もできない、全く稼げない・・・というところまですぐには堕ちることもないかもしれませんが。

常に、程々にできるようになる・・・というところを天井に、何かの外的要因や環境変化によって上手く行かなくなった時に、下の方に戻ってしまう。そこでようやく素直さや学ぶ姿勢が再び出てきて、新たに学んで立て直す・・・。上がったり、下がったりジグザグの繰り返しになっている間に。年齢が嵩むと共に、心身の堅牢性が失われることで、ゆっくりと右肩下がりに、なって行く・・・。

「労働経営者」としての活動ができなくなった時点で、「ゲームオーバー」という未来が待ち受けてしまうことになりますので。偶然のラッキーや神風的なものが吹き荒れない限り、「修羅の領域」における実質競争倍率に入ることは無い余生を送ることになるわけです。こういう方々とは、そもそも論で競い合うこともなしに、年月が経過するだけで、勝手に下がっていってしまう・・・つまり、驚異も焦りも感じることはないわけなのです。

ごくごく稀に存在する本当に「ヤバいヤツ」

そんな中で、ごくごく稀にですが「ヤバいヤツ」がいます。「ケイタ式」「ロイ式」「会社経営」「銀行融資」などの活動で、かなり高い水準の結果を既に出しているにも関わらず。いまだに、メチャクチャ真剣で。全然自分を過大評価したりすることもなく。口先のポジショントークとしてではなく、本気で自分のことを「情けない」「愚かだ」とか思っていて。周りに誰がいようとも、恥も外聞もなく、真剣に素直に、何でも質問して来るような「ヤツ」です。「ヤツ」と言っても、憎いわけではなく、真剣に驚異と焦りを感じる、ある称賛の意味が込められています。

自分がまだ、結果を出せていない状況で、例えば、「ケイタ式」「ロイ式」を始めとするビジネスで稼げていない状態では、素直であり、謙虚であり、学び姿勢もある人たちは多いのです。みんな誰しもが、自分が弱い状態だったり、調子が良かったものが、調子が悪くなったりすると。気が弱くなって、素直で謙虚な姿勢のパフォーマンスはできるのです。けれども、本当の違いは、ある程度の「結果」を出すことができた後にあると思います。

途端に「オレの実績、オレの実力」的な態度を取りはじめて。「もうできるようになった!学びは十分!」的な雰囲気で溢れかえり。「オレ、こういうのは好きで、得意なんです!」「自信がつきました!これからも頑張りたいと思います!」「こうやったら、こんなすごいことができるようになりました。 ありがとうございます!」・・・というような言葉が普通に口から飛び出すようになってしまうのです。

つまり、その時点で「成長はストップ」、そこから先は、ある程度山登りを体感した後、下り坂一直線か?ダメになってから、再び心を入れ替えて・・・というような、「失敗から学びました」とあたかもそれが、素晴らしいかのように、口にするような状態になってしまうわけです。どちらにしても、「修羅の領域」の住人であり続けることは難しい。積み重なるものはないのですから。けれども、本当に「ヤバいヤツ」は、既に素晴らしい結果を出しているにも関わらず。当初の状態から、全くブレずに。

「自分がいかにできていないのか?」ポジショントークではなく、真剣に本気で語れる「ヤツ」です。こういう「ヤツ」にとっては、自分が調子が良い時も、調子が悪い時も、いかなる時にも、常に真剣かつ全力で、学び続けてきますし。学び取ったことを、全力で実行し続けて来る。積み上がり続けるイメージしかわきません。つまり、年月の経過と共に、着実に上に、上に、成長して来ることは、既にそうなる前から、想像できることなので。そういう「ヤツ」と対峙すると、「ハッ」とさせられて、驚異と焦りしか覚えないわけです。

一体どれだけ昇るのか?「底が見えない」とはこういう「ヤツ」のためにあるような言葉では無いでしょうか?ちょっとばかし大枚を掴んだだけで、どこまでも調子に乗って、「再投資」と言いながらいい加減な気持ちで取組んだ、ビジネス・投資で、立て続けに「飛んでイスタンブール」になったお恥ずかしい過去を持つ僕としては。身が引き締まる思いになってしまうのです。

口先だけの「生涯勉強」にサヨナラを告げる

「生涯勉強!」を「座右の銘」的に掲げて。勉強を続けている人たちもある程度いるとは思いますが。その時、どんな「考え方」で、学ぶことができているのか?そのクオリティは、まちまちだと思います。仮のそういう中で、「オレってイケている」的な、ほんの僅かでも、自信や自慢の気持ち、そこから派生する油断がある状態で、学んでいたとしたら、全く意味がない。「失敗から学ぶ」などという言葉も、一見聞こえは良さそうですが、所詮はそういう類の気持ちの延長上にあるものです。

本当に真剣に上を目指しているのであれば、「オレってイケている」などは当然のこと。「失敗から学ぶ」なんて甘い言葉も口から出てこないはずです。そういう意味では、「生涯勉強」によって、本当に勉強によって自分を高めて成長できるのは、本当にごくごく僅かな一部の人しかいないのでは?とも分析できます。でも世の中怖いことに、そういう「ヤツ」が、現実にいるわけなのです。

本質的な意味での「修羅の領域」というものは、そういう「ヤツら」で取り合っている領域であり。「小さな成功」「一時的な成功」によって、ほんの僅かでも、その「考え方」を失った人たちはたちまち「修羅の領域」から堕ちていく。現実を感じることができるので。副業時代含めて自営業の道を歩みはじめて20年が経過した今だからこそ。改めて自分自身を見つめ直し、運や偶然に頼る人生からは完全にサヨナラを告げ。改めて、「必然的な成功」だけを積上げ続けられる余生を目指したいと思うわけなのです。それが結果として、本質的な意味での「不労所得」への近道だと思います。