「恥ずかしい」のは欲しいものが手に入らないこと一択

  • 2020.07.27
  • 2020.07.27

あなたの「恥ずかしさ」の基準はどのようなものだろうか?今さらなのだが、最近改めて、「妙な恥ずかしさの基準」を持っている方々が、多いことに気づいてしまった。なぜ「妙な」と付けたのかと言うと、なんと人生の中で長い年月「欲しい物を手に入れられない」屈辱的な「恥ずかしさ」に我慢して、耐え続けているにも関わらず。なぜか、日常の活動の中で、

  • 学ぶのが「恥ずかしい」
  • 質問するのが「恥ずかしい」
  • 行動するのが「恥ずかしい」
  • 自分が変わるのが「恥ずかしい」

こういうことを「恥ずかしさ」と感じて、学ばない、質問しない、行動しない、変わらない。道を優先して選択してしまっているのだ。これは僕も盲点だった。

実は「分からないから質問しない」のでは無かった・・・

一体どうして、なんで、「ロイ式」「ケイタ式」とか、「5ポケッツ」「北のセオリー」「成功シンドロームOS」とか、各種セミナーに参加してるにも関わらず、全く質問も何もしない方々が大多数なのか?本当にみんな、たった一度聴いただけで、完璧に分かってしまうとでも言うのか?と疑問に感じていた。それにしては、「質問しない」方々ほど、全く結果をださないな?と思っていた。

しかし、なんと皆さん、「分からないことがあっても、単に「恥ずかしい」から質問をしない」という状態にあったことを知り、僕も驚いてしまったことがある。なぜなら僕は、学んでいることはどれも、まだまだ分からないことだらけであり、大富豪ファーザーにも、マスターヒロさんにも、ついつい分からないことがあると、質問ばかりしてしまう。そこに対しては、微塵たりとも「恥ずかしい」と思ったことはなかった。

僕は、凡人生まれ、凡人育ちであり、元々は単なる体育会出身のおバカさんであり。社会人になったばかりの頃も、お仕事のことも、お金のことも、何一つ知っていることが無い完全無知な状態からのスタートだったのだから。当然勤務していた会社の中でも、A~Z上司・先輩たちから訓えてもらうことばかりだった。その質問に対する「恥ずかしさ」などあるわけがないので。常に分からないことは、アチコチ質問をしまくっていた。

さらには、既に社会人として、12年経過したタイミングである程度自力で稼げるようになってから、ファーザーとお会いしたとはいえ。ファーザーファミリーの訓えはどれも、「世の中の非常識」に該当しているので、そもそも論で、全てが分からないことだらけな状態からのスタートだった。

「分からないことがおかしいのではなく」「分かることが非常識」「分からないことが当たり前の」の類のお話。A~Z全てが疑問だらけの状態スタート。学びはじめた当初から、今日に至るまで、質問が出てこない方がおかしい。どうかしてる。。堂々と質問できるのは当然である。なぜ「質問」が出てこないのか?という方が、完全に意味不明だった。

「恥ずかしい」のは欲しいものが手に入らないこと一択

人生の中で僕にとっての、「恥ずかしさ」は、僕が欲しいと思うものが手に入らないことただ一択だけ(キッパリ)。手に入れるまでの過程において、学んだり、質問したり、行動したり、変わったりすることは、微塵たりとも「恥ずかしい」とは感じたことが無かったので。この単純な部分を見落としてしまっていたというわけだ。

みんなから質問が無いのも単純に、「一度聴いただけで、分かった気になっているのかな?」と僕は思っていたのだ。まさか、「まだ分かってないのに単に「恥ずかしい」だけで質問していなかった。」というのが実のところだったとは・・・。僕は完全に、「まちがい・きちがい・かんちがい」してしまっていたことになる。(↑気づけなかった自分は「恥ずかしい。」)

まさか、欲しい物が手に入らない人生に甘んじ続ける恥ずかしさを我慢し続けてまで、質問をしないとは・・・。ということで、まずは日常的にやりとりをしてる『禁サロ』の仲間たちと、「恥ずかしい」の基準について、改めて語り合うことにした。

僕の質問:「「恥ずかしい」の基準があまりにも間逆過ぎる。一体誰がこの「恥ずかしい」の基準教えてるのか?よくぞみんな欲しいものが手に入らない人生に甘んじ続ける恥ずかしさに我慢し続けられるな。。。この「恥ずかしい」っていう基準って、人生の中で一体誰が教えてくれたのか?教えてもらえますか?」

妙な「恥ずかしさ」の基準が構築された「背景」

最初に回答してくれたのは、オンラインゲーム『ビビッドアーミー』でも、現在鯖内最強連盟の盟主を務めてくれているランド君。

ランド:「恥ずかしいの基準を教えてくれてのは95%以上の普通の人たちですかね。知らない、分からない、納得出来ない事を子供は何でも聞いてきます。僕のパターンだと祖母に「だって〇〇〇だよ」って言うと、だって言うなと叱られました。言い訳するな、黙って親の言う事を聞いていれば良いと言われたのを思い出しました。きっと母親とその兄弟もそうやって育てられたのだと思います。

成功OSをある程度学んだから言えることですが自分の理想とするライフスタイルを確立するために働いている人を見た事がありませんでした。誰もが自分の年収の範囲以内に収まる生活に満足していてお金が余ってからお金の使い道を決めていたように思えます。別の意味で丸く収まってしまい牙を抜かれた虎のように大人しく過ごしている大人たちが当たり前の光景で気が付いた時には「常識」になっていました。

周りもそうだったから「普通」だと思い込んで違和感すら感じる事無く毎日を村人Aの如く95%以上の常識だけで今までを平凡に過ごしてしまってある種の洗脳状態とも言えますね。ようやくマトリックスで言う仮想空間から脱出して真実の現実空間に足を踏み入れることが出来そうですがまだまだ未熟なので生涯修行ですね。。」なるほど。

ちなみに、ランド君の場合は、僕と共に時間を過ごすことが長くなった中で、僕の「恥ずかしさ」の基準を見て、自分を後発的に修正していったとのこと。今は、「ケイタ式・第二期」にも参加しているが、早速、ミスタケイタに分からないことの質問をしはじめていて、ミスタケイタからも、
別の席で、ミスタケイタ「第二期生のランドさんって、有望そうですね!」・・・と目に留まっている。

なぜなら、第一期生の中にも、学びはじめて1年間で、

  • 月600万
  • 月400万

の領域に来られた方は共に、最初から最後まで、ミスタケイタに対して、「分からないことの質問」を徹底的にしてこられた方々。そこと、リンクするとのことだ。

次に回答して下さったのは、2人のお子様のいるお母様ミセスY。ミセスY:「思い返してみると、同居していた祖母にも「みっともない!」って子供のころ怒られてました。それが、他者からどう見られるかを意識するきっかけになっているような気がします。出る杭は打たれるのだから、目立つことはするなとか。それが処世術だと、多くの人は教わっているように思います。恥じるの意味は『自分の罪・過ち・未熟・欠点を恥ずかしく思う』とのこと。人と比べることを覚えて、恥じるようになっていくのですね。」

とのことだ。なるほど、どちらも幼少期からの家庭内での、両親や、おじいちゃん、おばあちゃんの影響をかなり受ける形で、今の「恥ずかしさ」の基準が構築されているようだ。ちなみに、沢山の方々が参加しているのに、僕の質問に対して、回答下さった方々は、この2名だけだった。。他の方々は、これもまた「恥ずかしい」から、回答してくださらなかったのだろうか?

遠慮なく自分が欲しいモノを手に入れよう!

僕たち人間が、人間である限り。「恥ずかしさ」は誰もが共通して持っていること。けれども、違うのは「恥ずかしい」のクオリティ。「恥ずかしさ」の基準。金融資本主義のピラミッドの頂点に君臨する「修羅」が共通して持つ「恥ずかしさ」の基準は。

自分の「成功=シアワセ」に基づいた、「欲しいもの」手に入れたいものを、手に入れられないことを、屈辱的に「恥ずかしい」と思うこと一択。これ以外の「恥ずかしさ」の基準は、一切存在しないということ。「修羅」は共通して、人生たった一度きり。時間的にも、必ず限りがあるのだから。

「成功=シアワセ」を真っ先に掴み取ることだけを考え続けて来た人生を送ってきていて。それを最短・最速で手に入れられるのなら、

  • 学ぶこと
  • 質問すること
  • 行動すること
  • 自分が変わること

これら何ひとつも、「恥ずかしい」と感じることはない。なぜなら、これらを「恥ずかしい」と思って逃げてしまうことほど、「成功=シアワセ」の目的到達に遠回りしてしまうことを分かっているから。

もしも、「恥ずかしさ」の基準が「修羅」と違うとしたら・・・言いたいことがある。幼少期から今日に至るまで、誰からどんなことを教わり、今の「恥ずかしさ」の基準が生まれてしまったのかは、ひとりひとり聞かなければ分からないことであるが。

共通して言えること。もう、自分の成功を後回しにするなんて、我慢強いことをしなくても良いのです。遠慮して先に他の人たちに、成功を譲ることも。他の何を後回しにしても良いから、まずは自分が「成功=シアワセ」に基づいた欲しいものを手に入れること。自分が勝ち取ることを最優先に考えて行動しても良いのですよ!

遠慮なくまずは、自分が先に成功を!まずは自分が先に成功する。成功した結果で、人生の選択肢を広げる。そこからユックリと、他のことを考えてやれば良いのです。「恥ずかしい」のは、自分が成し遂げられないことそのもの。途中の経過では、誰に何を言われても、分からない状態が続き、苦しみ続けても、誰に何を聴いて解決しても、何も「恥ずかしくない」のです!