子供を有名「学習塾」に預けても結果は出ない問題

  • 2020.09.12
  • 2020.09.10

有名「学習塾」に預ければば有名志望校に合格できるのか?

お子様を持つ親御さんであれば誰しも、子供の成長と共に「子供の教育」に興味を持つはず。

幼稚園、小学校・・・と子供が子供らしい内は、ちょっとばかしスポーツで活躍できたり、楽器を奏でたり、絵を描いたり、誰も教えてないのに自由自在にiPadを使いこなしたり。自分が子供の頃対比で、少しでも秀でた部分があると、「うちの子天才!」と非常に喜ばしく思えるのだが。

それほど気にしていない方でも、中学校に進学する頃、途端に、否応なしに、ありとあらゆる科目が成績という「数値化」され、高校進学基準で、かなりリアルに「評価」されてしまい。我が子は極めて「凡人」だったことを通知されてしまう。

恐ろしいことに、高校からは、必ずしも自分の通学したい高校が通学できる高校にならない。

仮に自宅の近くに高校があったとしても、自分の子供の評価がその高校の入学水準のレベルに到達していなかったりした場合、そこから新たに水準をクリアしなければ、その高校に合格して進学することもできない。

人気の高校ともなれば、幼稚園、小学校から、志望校合格目的基準で、真剣に地道な準備を積み重ねて来た「ガチ勢」たちが、ギラギラした目で狙っていることを知る。

そこで途端に焦って、「子供を学習塾へ!」と考えたり、本屋に立ち寄った時には「天才キッズはやっている〇〇勉強法」の類が目に付き、手に取りレジに持って行ってしまう。塾を選ぶ際には、「どこの塾が有名校への合格率が高いのか?」過去実績とやらを確認しながら、塾選びに躍起になる。

果たして両親がお金を出して、子どもたちを「学習塾」に通学させれば、早期から準備を始めていた「ガチ勢」に打ち勝ち、スライディングゴールで、志望高校に進学できるのか?

世の中の実態をクリティカルに見ていくと、実は「中学校スタート」で、両親が決めた「学習塾」に子どもたちを無理やり預けても、何も変わらず、そのままの実力通りの高校にしか進学出来ないリアルを、子供が最終学年になってから知ることになる。両親がぼんやりと抱いていた我が子への夢や希望が失望に変わり、絶望に堕ちる瞬間。

このように、高い確率で「学習塾」が、子供の学力の向上や、人気の有名校合格にはつながっていないのだ。

「ビジネス塾」を受講すれば「修羅」になれるのか?

子供を「学習塾」に通わせるかどうか?
子供を「私立学校」に通わせるかどうか?

プラスアルファの「教育費」が色々とかかることを知った両親は、今のままのお給料では、生活を切り詰めてもカツカツか、かなりお金が足りなくなることが、イキナリ現実感満々状態で、目の前に突きつけられはじめる。

「私も稼がなければ!」しかし就労している会社のお給料は、どんなに頑張ってもなかなか上がらない。すると、給料では足りない分を、「副業ビジネスで稼ぐ」ことで賄おうとする選択肢に興味を持ちはじめる。インターネットで検索すると沢山の「副業ビジネスで稼ぐ」方法があることを知る。

そこで、できる限り早く、できる限り簡単に、できる限り沢山、お金を稼げそうな、「副業ビジネスで稼ぐ」方法が記載されている「情報商材」を購入したり、「副業ビジネスで稼ぐ」方法を教えてくれるという「ネット塾」に申し込んだりすることになる。

しかし、現実はそう甘くはない。この情報もダメ。あの情報もダメ。こっちの「ネットビジネス塾」もダメ。あっちの「ネットビジネス塾」もダメ。手を出せば出すほどに、受講費のマイナスの金額がかさんでいくだけ。しかし、一向に「副業ビジネスで稼ぐ」ことはできていない。

こうして、情報だけがパソコンのデスクトップ上にズラリと並ぶ、「ノウハウコレクター」が誕生する。

目標達成のため「お金」かけて「学ぶ」は素晴らしいことだが・・

我が子の「学習塾」にしろ、自分の「ネットビジネス塾」にしろ、目的達成基準で取り組むシーンにブチ当たった際、「学んでから取り組む」という発想を持てること自体。実はそれだけでも、素晴らしいことでもある。

なぜなら、世の中の大多数の方々は、子供が中学校に通学開始して、高校受験が迫って来ていても、「ありのままの子供で良いじゃない!自由が大切だよね!」「子供の自由」を大義名分に掲げはじめる。

考えることも、取り組むことも完全放棄をして子供を放ったらかしにしてしまうだけ。子供を「学習塾に通わせよう!」という発想すら浮かばない。また、お金が足りないなら子供にあきらめてもらうだけ。この予算の範囲で、子供が進学できればOK的に適当に考えているだけ。先々の「教育費」に関する危機感すら何も抱いていない。

だから、目標をクリアするために、「お金を費やして学ぼう!」という発想を持てる事自体、素晴らしいことだと言える。けれども、残念ながらこれらの状態では、子どもたちのミライも、これまで自分たちが歩んできた、日本の平均給与水準の前後の領域をふらつくことは高い確率で確定して行く。

そもそも論で、
子供の教育:子供を「学習塾」に預ければなんとかなる
自分の教育:「ビジネス塾」に通えばなんとかなる

・・・という発想に、安易に行き着いてしまう時点で、子供も、自分も、「修羅の領域」の住人になることはできない。どちらも極めて「普通の人生」を送り続けること自体が「合格点」となるのは、良くも悪くも無く、当たり前のことなのだ。

けれども僕は個人的に、せっかく目標の達成に向けてお金を費やして学ぼうという意気込みを持てるのであれば。これはとてももったいないことだと思う。なぜなら、この場合の親子ともに、「結果を出すために学ぶ」の枝葉部分にしか目が行っていない状態で、本質部分の「要」が何かを、知らないだけなのだから。

同じ、時間と労力とお金を費やし続けるのだとしたら、結果に結びつかないと予め分かっている方向に進むのではなく、結果に結びつく方向に進んで欲しいと、僕は個人的に思うのである。

「修羅」も「子供の教育」ができない

「お金」があれば、「子供の教育」が上手くいくのか?

例えば、今日時点で金融資本主義の三角形の頂点に「お金持ち」として君臨している方々なら、「子供の教育」が上手くいくのか?

両親が、年収1,000万円以上おとなの偏差値68(就労人口の3.8%)、年収2,000万以上おとなの偏差値77(就労人口の0.4%)、学校で言う、早慶〜東大レベルの超難易度を、社会で突破した方々ならば、その血を引く子どもたちも、「受験戦争」でも難なく、有名学校の合格を勝ち取れるのか?というと、そんなこともない。

実に「修羅の子供」の99%以上が、学生時代を適当に過ごし、適当な考えで、適当な学校に通い、いつの間にか社会人になり、ふと気づいた時には、俗に言う「ボンクラ」に成り下がってしまっているという現実がある。

両親が平均年収レベルのサラリーマンであれば、子供の受験を意識した時に、預けられる「学習塾」が「1つだけ」なのに対して。両親が「金持ち」であれば複数の「学習塾」に預けられるのに加えて、「家庭教師」を雇えてしまう。お金の力で、子供を預けられる、「学習塾」や「家庭教師」の「本数」が増えるだけ。

しかし残念ながら、その状態では、適当な「三流」の道は歩むことはできるかもしれないが、子供が社会に出て自主的に「修羅の道」に向けてギラギラした目で歩むことはできない。「競争力」を全く持てない状態の「ボンクラ二代目」がこうして誕生する。

自分には厳しく生きてきた「修羅」にも関わらず、「わが子可愛さ」に途端に盲目的になり。子供の状態を見誤って、会社法人名義のクレジットカードを渡せば、「コロナ渦」でも、夜の繁華街に繰り出し、大きな声で喋りながら、高いボトルを入れる日々を送るだろうし。何も与えなければ自宅に引きこもって寝転んでYouTubeやスマホゲームをやって何もしないだけ。

そんな子供に「二代目」として事業を引き継いでしまえば、確実に海の底に向かって斜めに沈んで行く。こうして、『金持ち3代で終わる、貧乏7代続く』の言い伝え通りの流れになる。

せっかく初代が一代で、クワを片手に荒野を耕すところから、必死になって財を築き上げたにも関わらず。「二代目に何も残さない方がマシだった・・・」という悲惨な末路に到達してしまう現状。僕はとても悲しいことだと思う。

『0歳〜15歳の子供の英才教育論』

大富豪ファーザー一族のマスターヒロさんが僕に直伝下さった、『0歳〜15歳の子供の英才教育論』には、

  • 子供の「学習塾」の問題
  • 両親の「副業ビジネス塾」の問題
  • 修羅の「二代目育成」の問題

世の中の多くの方々が抱える、深刻な問題を突破するための具体的な「答え」が記されていた。なんとその「教育論」では、「学習塾」や「家庭教師」に躍起になって通いまくることをしなくても、「根本的な本質部分」両親と子供の「考え方=脳のOS」を変えてしまう訓えだった。

「修羅」レベルの経営者や高級サラリーマンなど、子供に沢山「お金」をかけられるのであれば、「選択肢」は広がるね!というだけ。平均年収レベルの普通のサラリーマンでは、なかなか学校に通わせる学費以外の「学習塾」や「家庭教師」などに、お金を費やすのは厳しいが。その状態でも、何の問題なく取り組めるという「取り組めない言い訳のしようのない訓え」だった。

僕も子どもたちには、高額の学費の「アメリカンスクール」に通わせたりしていたが、そういう特別な費用のかかる「教育法」を採用しなくても良い。有料でもできるが、無料でもできる。

むしろ、お金を沢山かけられても、単に複数の「学習塾」や「家庭教師」に子供を預けるだけの「修羅」を、お金の無い状態の人でも、アッサリと抜き去ってしまう類の「究極の教育論」だった。

世の中には極稀に、
・父親または母親のどちらかがいない状態
・親が教育費に十分なお金をかけられない経済状態

「子供の教育」に恵まれていない環境で生まれ育った子供が、類まれなる才覚を発揮して、金持ちの「ボンクラ二世」を、アッサリと抜き去ってしまう現象を目にすることがあるが。なぜ、そういうことが可能なのか?その明確な答えを「根拠」と共に知ることになった。しかも、偶然のラッキーではなく、全て「狙って再現」することが可能であると分かった。

さらに、さらに、これが「子供の教育」だけでなく、自分自身の学習にも応用できるし。サラリーマンの部下・後輩、経営者の社員の育成にも応用できる。そのどれに対しても、全く同じ用に活用可能なのだ。

「A・B・Cイコール」実際に僕も、マスターヒロさんの訓えを元に、

  • 孔明弟のビジネス。
  • 孔明子どもたちの受験勉強。

家族に対して実行しているが。開始後たったの1年間で、共にものすごい成果を目の当たりにしてしまっている。共に、全く別人のように進化成長を遂げている。

まさに「究極の教育論」とも言える。