「自宅・車・子供の教育」何年後に「お金」が必要?

  • 2020.08.31
  • 2020.08.31

もしも僕たちの寿命が「永遠」であれば、いくらでも「先延ばし」してもOKなのかもしれ無い。

例えば、「世田谷」の1億以上する一軒家を獲得して住むことを目標にしたとする。毎月5万円ずつ貯金できれば、年間60万円。

1億が貯まるまでに、約166年かかる計算になったとしても・・・

「私の目標は「世田谷」に1億の戸建てを購入して住むことですが、毎月5万円貯金をはじめて既に33年目です。既に1,980万円も貯まりました。人生永遠なので、1億まで残り133年気長にやっていきます。愉しみは後にとっておいた方が良いですからね!」という理論も成り立つ。

ところが、残念なことに、僕たちの寿命には限りがある。

高校・大学を卒業して、23歳で社会人になった場合、たったの10年間で33歳になり。たったの20年間で43歳になってしまう。以降、年齢が積み重なるごとに身体はドンドン衰えていく。一つの動作ごとにかかる時間が増えて行くし、集中力も続かなくなって行く。

すると、大したことをしていないのに、あっという間に1ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、1年が過ぎ・・・自分が遅くなったのか?時間が加速したのか?という感覚に陥ってしまう。こうして僕もついこないだまで40歳になったばかりだと思っていたら。来る9月11日の誕生日には44歳になろうとしている。

もう何回か、眠りについていたら50歳になりそうな勢いで年齢が積み重なっていく。。さらには今、「四十肩」で苦しんでいる。右肩が全く上がらない。。ヤバい。。

この心身の健康度合いから、年を追うごとに右肩下がりにはなっても、右肩上がりになることは無いだろう・・・。なんか凄い細胞再生技術実現化されないかな・・・。

「お金」が必要になる「タイムライン」は決まってる

なぜみんな「お金持ち」になりたいのか?「年収」を上げたいのか?

単純に銀行口座の中の数字を増やして行くのではなく。自宅なり、車なり、子供の教育なり、大人になってから新たに出てきた「欲しいモノ」を手に入れたいからなのではないだろうか?僕が「お金持ち」になろうと思った動機も、「自宅」と「子供の教育」だった。

自分が26歳の時に子供を授かった場合。以降「自分のため」という領域を脱して、「妻のため」「子供のため」という概念が発生する。「自分のため」は、一番後回しにすることが求められてしまう。

その際、子供が0歳スタートで成長して行く過程において、果たしてボロ屋に親子で押し込められ続けていて良いのか?「嫌だ!」お金が無いからと、子供の教育で、私立はダメ、習い事もダメ。我慢を強いる日々を送り続けて良いのか?「嫌だ!」妻、子どもたち、自分からなる「家族」として、より快適な選択肢のある人生を送るために、「お金持ち」になりたい!と思うのだと思う。

しかし、今こうしている間にも、子どもたちはドンドン成長して行く。

(例)

  • 23歳で社会人になる
  • 24歳で妻と結婚
  • 26歳で子供が0歳。
  • 42歳で子供が16歳←子供が高校入学
  • 45歳で子供が19歳←子供が大学入学
  • 49歳で子供が23歳←子供が社会人に

・・・とするならば、自分たち夫婦が中心となる子どもたちとの家族生活に関しては、50歳を迎える前に、ひとつのゴールを迎えてしまう。

この場合家族と住む「自宅」で言えば、子供が子供らしい内に・・・と考えるのであれば、23歳スタートで、子供たちに自我と記憶が芽生えはじめ幼稚園に通い出す3歳までに、遅くとも、小学校に通い出す7歳までに、タワマンなり、戸建てなり、「華美な自宅」を獲得することが求められる。

とするならば、自分が社会に出てからタワマンor戸建てを獲得するために求められる準備のための猶予期間はたったの6年〜10年ということになる。

子供が通う学校であれば、

  • 私立幼稚園:3歳〜(自分が29歳)
  • 私立小学校:7歳〜(自分が33歳)
  • 私立中学校:13歳〜(自分が39歳)
  • 私立高校:16歳〜(自分が42歳)
  • 私立大学:19歳〜(自分が45歳)
  • (4年制大学卒業):23歳〜(自分が49歳)

この場合、自分が社会人になってから6年後までには、私立やインターの「選択肢」を持てる「お金」を積み上げておく必要がある。

以降、仮に私立に通い続ける場合、29歳、33歳、39歳、42歳、45歳、、、サラリーマンとして会社の就労なり、経営者として、ビジネス・投資の世界なりでただの一度も「飛んでイスタンブール」になることなく、家族との拠点である、「華美な自宅」を守り抜きながら、子供の私立代・習い事代を支払い続けることが求められる。当然それプラスαで諸々の出費がかさむ。

「今、お金が無いから・・・」と、「先延ばし」にして後回しにすればするほど、「家族生活」はひもじい思いをし続けることになるし、子どもたちも「選択肢」が無くなっていく・・・ということになる。

僕たちが、小学、中学、高校、大学の時のように、社会的に定められた明確な年表があるわけではないが、こうして見えない年数制限が僕たちにプレッシャーをかけ続けている。その中で、どう僕たちが「お金」に真剣に向かい合えるのか?夢や希望ではなく、現実に達成できる目標にできるのか?

本来なら自分が、23歳〜49歳までの間に。学生の時以上に、真剣に考えて、取り組み続けることが求められる。むしろ学生の時の勉強や部活動は予行練習であり。社会に出てからが失敗の許されない「本番」なのだから。

子供が卒業した後は、子どもたちがいつでも帰ってくる場所があるように、華美な自宅を維持継続したり、今度は子どもたちの子供の子育てに対して、祖父・祖母として、お金、時間、労力を費やし後方支援をして行くということを維持継続する形になる。そのアフター部分の重要性は薄いのではないだろうか?

老後になってから「華美な自宅」に住むのか?

自分が60歳、70歳、80歳になってからようやく、華美な家に住み、高級車を乗り回そうと言うのか?子どもたちが家を出てしまった後に「お金持ち」になることができても、果たして自分が納得できる「成功=シアワセ」を体感できるのだろうか?「成功=シアワセ」の形は人それぞれなので、誰が何歳で何を実現するのかも、自由であるが。

念のため、自分と子供の年齢の相対関係を良く考えながら、取り組む必要があるのではないだろうか?残念ながら、「タイムマシン」や「若返りマシン」が現実には存在しない限り、年月や若さを遡ることはできない。

一方で、今こうしている間にも、年月は経過していくし、自分も年を取っていく。着実に人生の「終焉」に向かって近づいて行っていることだけは確か。そんな中で、必要な時に、「欲しいモノを手に入れるため」。その手段として、「お金持ち」になりたい。「年収」を上げたい。と考え、行動に移すのだから、当然ながら何歳までにどんなふうに?という具体的な年月と数字を落とし込むことが求められてしまう。

しかし、ただただ世の中の常識に基づき、普通にサラリーマンとして就労し給与収入をもらい続けたり。普通に経営者としてビジネスで稼いだりしても。なかなか十分な「選択肢」が持てるようになれない。

そんな中で「救世主」的な存在が、「大富豪ファーザー」直伝の訓え。取り組みにおけるゼロイチの段階で必要なのが『5ポケッツ』。常識に基づく普通の考え方と行動では、本来100年以上費やさないと実現できないレベルのことが。

『5ポケッツ』

  • サラリーマンとしてお金をもらう
  • ビジネスでお金を稼ぐ
  • 銀行融資でお金を創る
  • 投資でお金を増やす
  • 物販法人でお金を回す

「お金」の五段活用によりたったの10年未満に圧縮できてしまう「戦略術」。

僕たちが現在進行系で、夢中になって取り組むのは当然とも言える。これまで、何でも「後回し」にする人生を送り続けてしまったとしても。それを「帳消し」にしてしまう力を秘め持つ「戦略術」。

全ては、「あの世に行ってから成功=シアワセになろう!」ではなく、「一刻も早く「欲しいモノ」を何でも手に入れられる状態になり成功=シアワセ」になろう!」ここに焦点が当たっている。

「諦めるなら諦める」「やるならやる」しっかりと取り組むなら最低限「体育会の部活動」に入って、取り組むぐらいの真剣度は必要になる。