「黄色の時代」東証一部上場「玩具・ゲームメーカー」の就職活動

  • 2020.07.08
  • 2020.07.10

学生時代は誰もが平等に年収0からのスタート。学生時代のアルバイトでも、時給は数百円単位でしか差はない状態。必ず全員が「青色」からスタートになっている。今日時点で年収低い人も、高い人も、スタート地点の収入水準だけは全く変わらない。社会に出た直後、20代前半も、初任給はほぼ全員10万円台であり、
この地点でも皆同じ状態。

しかし、その後20代後半になると徐々に年収に差が生まれはじめ、30代、40代、50代・・・年月を減る毎に、その差は圧倒的なものになっていってしまう。しまいには、「富める側」とそうでない側という圧倒的なる「二極化」状態にまで行きついてしまう。

年収1,000万円以上の「修羅の領域」に到達している方々も、「青色→黄色→緑色→橙色→赤色※」すべての年収ゾーンを一度は経験している。

青色で止まる人。
黄色で止まる人。
緑色で止まる人。
橙色で止まる人。
赤色に入ってすぐ止まる人・・・。

上に行ける人、そうでない人、その差が発生する根源はどこにあるのか?ここをクリティカルに把握して、ミライに向けた「目標達成」の対策を講じるために、まずは自分自身が、「はじめての収入」から今日まで歩んだ道を、改めて「棚卸し」してみることからはじめてみよう!

アメフトで学んだ「スカウティング」

学校のお勉強を一切しない人生を歩んでしまった僕であるが、部活のアメフトの高校、大学とそれぞれ全国優勝を目指す過程で学んだことがある。それは、敵と闇雲に戦ってはダメだということ。闘う前には必ず、敵のことを全部知る。撮影可能な公式戦で、撮影部隊が収録して来たビデオを何度も何度も繰り返し視聴しながら、相手を徹底的に調査して、統計を出して、対策を立てる。

当事者意識の低い1年生の時には、ビデオ操作しながら、あまりにも単調な作業の繰り返しなので、ついつい寝落ちして再生されたままになってたりして、「おいっ!」と、シバかれたりとする人もいるわけだが(笑)。

緊張感を持った調査の時間。。全体練習&個別トレーニング後の夜にも関わらず、時として深夜に至るまで、何時間もかけて、1年生~4年生まで全員で一丸となって敵チームの全試合、全プレー、全員分書き出して、統計を作っていく。その上で、対策を立てる。これが癖になっていたのが、まさか就職活動で活かされるとは思っていなかった。

「就職活動」では、ライバル学生たちの素性は調べることはできないが、「企業」のことなら、いくらでも調べ上げることができる。相手企業が取り扱っている商品を、ホームページ上の情報と、リアルの売り場に並んでいる商品の情報、両方から全部洗い出し。企業の強いところと弱いところ、その両方を全て把握した状態。

その上で、

  • その1:SPI(総合適性検査)
  • その2:自己PR(文字版&スピーチ版)
  • その3:会社に入りたいという熱意

で武装して臨む。

東証一部上場ゲームメーカーの「裏口ルート」構築

大学の就職課に日々入り浸り、パソコンの前に向かう日々。数カ月間が経過。段々と、パソコンの検索が速くなって来た。そんな中で、僕が「内定」を獲得したかったゲーム会社の一つが、三部リーグのクラブチームではあるが、アメフトのチームを持っているのをホームページから発見した。

そこで、ホームページから、アメフト部の監督宛にメールを送った。すると、監督から比較的早く、メールの返信があった。監督さんはパソコンが得意なようで、メッセージを送るとすぐにメッセージの返信がある。

アメフト部の飲み会に参加させて頂くことになった。アメフト部の飲み会に参加してみると、当たり前だが、ゲームメーカーの方々ばかり。営業から企画開発までありとあらゆる部門の方々がいらっしゃる。業界では超有名なゲームクリエイターもいらっしゃった。なんと、クォーターバックをやっていると言う。

さらには・・・、偶然にも、幸運なことに、アメフト部の顧問を務める方が、人事部の専務だった(笑)。専務って部長よりも上の御方。ゴゴゴ このゲームメーカーのゲームは、僕自身が昔からのゲーム機本体から、マイナーなゲームまでかなり網羅出来ている。

有名なゲームを語るのではなく、超マイナーなゲームをネタに語っていたら、かなりウケた。有名で人気のゲームだけでなく、クソゲーに至るまで全部やっていて良かった。笑「裏口ルート獲得成功!(ニヤリ)」ちなみにこのゲーム会社は、最終的に行かなかったが、後にアメフトのクラブチームには所属させて頂くことになった。海外転勤以降、行けなくなってしまったが。。

東証一部上場玩具メーカーの「就職活動」

「就職活動」における第一志望の玩具メーカー。送付した「エントリーシート」が通過したようだ。会社説明会を兼ねた、「SPI試験」が行われるようで、ハガキに日時と場所が書いてある。当日は「会場一番乗り」をするために、かなり早めの時間に行った。

昔の「ドラクエ発売日」のように、「徹夜組み」がいないか心配だったが、僕が一番乗りだった。会場は1,000人以上が入る広いホールそして「SPI試験」。既に練習代わりに、他の会社でも受けておいた。

人生の中でお勉強はまともにやってこなかったので、僕の回答が合ってるかどうかは良くわからない状態だが、「マークシート」が命綱になっている。さらには、人生ではじめて、自主的に「SPI試験」の基礎的参考書を購入して勉強をしたじゃないか!

とにかく、隣に座ったやつには、負けないスピードで問題を解くことに集中した。後日、玩具メーカーの人事部から、実家に電話がかかって来た。祖母が受けたので、折返ししてみると、本社で面接試験を行うと言う。「SPI試験」通過したことになる。後は「面接」を通過するだけだ!

「面接」の練習目的で保険会社の面接へ

ちなみに、「面接」の方も、人生の中で経験は無い。大学スポーツ推薦の時にも、面接のようなものがあったのを薄っすらと記憶しているが。先輩のコネクションで声がかかっているので、基本「スポーツと私」の作文を書くだけ系。本当の意味での「面接」は生まれてはじめてだ。

ただし、経験の無い「面接」を、ぶつけ本番の本命の会社でやって失敗するのが怖いので、ハガキが来ていた中から、早期に開催するという基準で適当に選んだ「生命保険会社」系にエントリー。「面接」の練習目的で行くことにした。

この会社の良いところは、一次面接、二次面接・・・と、通過すると、別室に通される形で、一日に何回も行われること。何度も同じ様なことをお話することになるが、かなり良い練習になった。その経験を経て臨んだ、本命企業の面接だった。

玩具メーカー「内定」獲得までの3回の面接

玩具メーカーの一次面接は、人事部の主任さんとマンツーマン。1分間以内の「自己PR」からはじまり。。。後は、質問に対して答えていく。一次面接後、自宅に電話がかかって来て通過。再び二次面接に臨むために本社へ。

二次面接は、実際に事業部で働く、課長(マネージャー)たちと4人と学生4人のグループ面談。この時、はじめて隣に、勝ち上がって来たライバルたちを間近で見ることになる。なるほど・・・国大、早慶、マーチばかり。。

しかし、アメフト業界の方では、高校の時から知ってる人たちが多いし、どれも倒せるチームばかりだったので、アメフト基準では恐れることはない(笑)。さらには、実際の事業部の課長(マネージャー)の御方々とのことだが、どっから攻撃が飛んできても、「商品」知識という部分では、対応できる状態。

横のライバルたちが、案の定日本人なら誰でも知ってる「有名キャラクター商品」を語っているので心の中で「ニヤリ」。予め準備しておいた、超マイナーな商品を語った。

二次面接後、自宅に電話がかかって来て通過。三次面接を受けるために再び本社へ。次は、三次面接は役員面接だった。「三巨頭」的な、ただならぬ雰囲気ただよう御方々が三人並んでいる。この御方々が、会社の中枢。。ゴゴゴ

学生側は僕含めて4人のグループ面接。役員のお一人は、なぜかアメフトを知ってるようで、役員「きみたちH大学に負けたよね?何で高校H大学附属だったのに上に行かなかったの?」痛いところを突っ込んできたが、熱意と共に回答。それに対する反応は、役員「あ、そ。ふーん。」「ここでムカって来てはだめだ、この時の返答そのものも、見られているはずだから!」

神妙な気持ちで臨む。別の役員からの質問の際、超マイナーなキャラクター商品についてそれを自分ならどう販売するかを語ったところ、「ムムム?」と乗り出した。

後にこの方の傘下の事業部に配属。面接終了後すぐに自宅に電話がかかって来た。「内定」とのことだった。こうして、本命の「内定」を獲得した僕は、その後丁重に同じく進んでいた他の企業の人事部に電話で「内定自体」の報告をさせて頂いた。

「職業選択の自由」単なる「アメフト推薦」ではない、自分で勝ち取った「内定」だった。次の年から、この玩具メーカーに就職し、以降12年間勤務することになる。

スーツをまといパソコンを手に「社会人」へ

就職先が決まった頃には、大怪我をした、身体の調子は戻って来た。妻(当時彼女)は、一年早く音楽大学を卒業して僕の実家近くのマンションに一人暮らし。(実質僕と2人暮らし)単に筋トレ&プロテインもりもりでパワーアップさせるだけでは、また大怪我をするといけないので、怪我をしない身体づくりのために、自宅から大学まで、毎日片道20km以上を自転車通学。もっと早く、これに気づくべきだった・・・。

これが良かったのか、大学4年生の最後の秋の試合では、ただの一度も大きな負傷をすることも無く、全試合、オフェンス・ディフェンスの両面で出場でき、プレイオフまで進んだ。最後は高校時代のチームメイトたちとの対戦(一本差で負けた。涙)。最後は、東西選抜試合にも出場させて頂いた。

7年間に渡り、プロでもないのにまるで「職業の如く」取り組んできたアメフトとは、キッパリとサヨナラを告げた。ショルダー脱ぎ去りスーツをまとい、ヘルメットを置いてパソコンを手に、「サラリーマン戦士」として、社会にでることになった。・・・と言ってもたまに就職活動でお世話になった某ゲームメーカーのクラブチームで(三部リーグなのでガチではない)遊びのようにはやっていたけど。笑